壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

浮世の画家

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浮世の画家 カズオ・イシグロ
飛田茂雄訳 ハヤカワepi文庫 2006年720円

戦後間もないころ、かつて画家であった小野は、娘の縁談にまつわる事情から、自分の過去を回想しはじめます。戦時下に戦意を高揚するような作品を描き、戦争を肯定するような言動を取っていた自分が、敗戦を経て社会の価値観が180度変わってしまったとき、アイデンティティーをどこにおくべきか、揺れる心のうちを語っています。

「日の名残り」より三年前に書かれた作品で、中心的なモチーフは非常に良く似ています。「日の名残り」の方が物語の構成や謎解きの語り口などの完成度は高いのですが、イシグロの言いたいことはこの作品でかえってストレートに感じられるのかもしれません。

過去を回想するときに自分を正当化しようとする心の動きが、記憶を書き換えることは良くある事です。さらに自分の記憶が曖昧で書き換えられている可能性があることを、小野自身も自覚しているのです。

しかし、過去に自分が誇りにしていた強固な信念とはなにか? それゆえに犯してしまった過ちとはなにか? については具体的に明らかにしていません。自己と対峙する事を避けているようで、さらに、周りの人々の反応から、小野自身が思っているほどには、戦時中の重要人物でなかったことが露呈します。むしろ世間を器用に渡ってきた人間だったのかもしれません。

そんな主人公について、イシグロは是か非かの判断を一切示していないように見えます。善悪の判断が入ってしまうような事柄は、イシグロの世界を常に覆う霧に隠されているのです。

この作品も、「日の名残り」と「遠い山なみの光」も、『リタイアするような歳になって自己と向き合い、過去の自分の価値を否定せざるを得なかったら、どうするか?』という、読み手に向けられたイシグロの問いかけでもあり、イシグロの答えでもあるように思います。

那口という音楽家のように過去を清算する自決の道は選ばずに、かといって新たな道を生き直すには年をとりすぎているという状況で、過去の自分と冷静に向き合うことが出来れば、それに越した事はないけれど、諦念をもって静かに人生を終えるか、かすかな希望を見出すべく決意するか、小野のように半ば意識的に逃げ道を探すか、どれも”あり”だというのが、年をとった私自身の答えです。もっと若かったら、この作品にいたたまれなかったかもしれません。

イシグロの作品はどれも、ある種の閉塞した状況に置かれた人間の姿を描いているようです。そしてその閉塞状況すら確定的でなくひどく曖昧な世界『イシグロワールド』です。

長編は一作を残して読み終わりました。残りの「充たされざる者」を読むのは楽しみでもありますが、900ページを超える文庫本の厚さを見て、読み始める決心がなかなかつかないのです。