壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

自然界における左と右

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自然界における左と右 マーティン・ガードナー
The New Ambidextrous Universe: Symmetry and Asymmetry from Mirror Reflection to Superstrings
坪井 忠二 藤井 昭彦 小島 弘 訳
紀伊国屋書店 1992年 3500円

 

第一版が1971年に翻訳された時に読んだ事のある本ですが、最近必要があってチェックしました。奇妙な論理の著者でもあるガードナーは、その頃創刊した「サイエンス」(今は日経サイエンス、元はScientific American)に数学に関するパズルを連載していました。「鏡は左右を入れ替えるのに、どうして上下は逆転しないのか」という問いに対し、(三次元空間座標で考えると)本当は前後を逆転させているだけという答えにAha!でした。

 

そこだけはよく覚えていましたが、あとは曖昧なので全編再読。第一版から四半世紀たっていて、内容がだいぶ増えていますが、同じ話をまた読んでも興味深いものばかりです。自然界を貫く真理が存在する事、この世界や宇宙の姿を正しくとらえるのに自然科学が有効であるという確信のようなものを、第一版を読んだ時に感じたことを思い出しました。

 

そしてまた、この世界を知るために、自然科学を学ぼうと決心した瞬間を思い出しました。高校時代文理選択で、自分がなぜ自然科学を学びたいのか自分なりに答えを出した時、私は通学途中の地下鉄のあの駅のホームで階段を上ろうとしていたのでした。今はもう疲れ果て「この世界を知る」という大それた望みもなくしましたが、脈絡のない好奇心だけは、今でも残っています。

 

スイカズラヒルガオのツルの巻き方は右と左それぞれ違うところから、シェイクスピアが情熱的な恋愛のメタファーにした話、シャム双生児は互いに鏡像対称性があり必ず片方に内臓逆位がある話、日本で左利きに対する偏見が強いが浅丘めぐみの「私の彼は左利き」が流行ったので偏見が打破できるのかなど、話題は多岐にわたりますが、これはみんな脈絡のある話です。

 

前半は生物学と化学の分野、後半は物理学と数学の分野です。全部が理解できたなんてとてもいえませんが、飽きずに読めたことは確かです。第三版は1990年に書かれていますが、1914年生まれの著者が前書きで第四版に言及していてなんとも元気な事です。生物の左右非対称性の発生など現在も書くべき事が増えているでしょう。ガードナー氏はまだ健在の様子ですが・如何。

 

「自然界における右と左」という題名だとずっと思い込んでいて、検索にひっかからない事で、初めて間違いに気付きました。“左右を確かめる”、“運命を左右する”“みぎひだり”、“右も左もわからない”。原題にはないのですが、順序に何かの意味があるのかしらと思っていたら、文化的に左右差はちゃんとあるそうです。また西洋では対称性に美を見出すが、東洋では非対称である事の価値が高いといいます。

 

右と左の問題は、右回りか左回りか、時計回りか反時計回りかの問題も含むわけで、情報誌SPAZIOで、面白い記事を見つけました。ギリシャ文化に造詣が深く、素粒子論の研究者であった高野義郎さんの「時計回りの文化、反時計回りの文化」(1)(2)です。時計回りの佛教、反時計回りのキリスト教というような発見がたくさんありました。

 

そして、オズマ問題(パルス言語だけで、遠くの星の宇宙人に「どっちが左か」を伝える事ができるか)を解決したのは、中間子の崩壊においてパリティーが保存されないという実験的事実。これによって宇宙は統一的に、どちらが左なのかを知る事ができたそうです。車を運転していて、夫に、急に「左に曲がって」といわれたとき、「左ってどっち?」と聞いてしまいましたが、これは私が単に鈍いだけでした。