壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

ヴァイオリンは語る

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ヴァイオリンは語る ジャック・ティボー 1947年
栗津則雄 訳 白水Uブックス 1992年

プルーストからの連想でたどり着いた本です。20世紀の名ヴァイオリニスト ジャック・ティボーの自伝的エッセーです。古い本ばかりを漁っているので、図書館ではいつも、ライブラリアンを書庫に走らせてしまいます。忙しそうなのに、ごめんなさい。この本、題名は覚えていましたが、読んだことがあるのかどうか記憶が曖昧です。今読んでみると大変印象深いものですが、若い頃にはこの手の本は敬遠したと思います。

当時、ティボーは日本でも大変人気があったのでしょう、三回目の来日の途上、飛行機事故(1953年)で亡くなっています。この本は晩年に書かれた回想録なのですが、5歳の時の記憶から始まります。5歳でピアニストとして演奏会をひらき、その後ヴァイオリンに移り、音楽を糧にしてパリで苦学しながら学び、ついには名声を得るのです。

彼の日常は、あふれる情感と、音楽と音楽家たちの幻想に満ち、行間から音楽が鳴り響いているかのようです。常人にない特別な音感をもっていたのでしょうね。ある特定の音やフレーズで、一気に記憶がよみがえってくるところなどは、今読んでいるプルーストみたいです。大仰な言葉で語られる、いささか芝居がかった出来事が、幻想か現実かはともかく、この早熟な天才ヴァイオリニストを語るにはふさわしいもののようです。

墓場での母との対面、名ヴァイオリニスト イザイとの出会い、父親との初めてのヴァイオリンレッスン、叔父のアパルトマンの住人たちをすっかり変えた演奏、パリのコンセルヴァトワールの同級生との共同生活、マダガスカル最後の王国の女王から貰ったお守り、マニラでの演奏会を聴きに来た大蛇など、モノクロの映画を見ているようにドラマッチクです。こんなことをいうと不謹慎ですが、ジャック・ティボーは死の瞬間までドラマチックだったように思います。

少年ティボーが好んで弾いたという、ベートーベンのロマンス・ヘ長調ヴェルレーヌとの思い出のあるサン・サーンスのロンド・カプリチオーソなど、聴きたい曲の話が満載です。

ティボーの演奏がどんなものだったかを知りたくて、ネットを探していたところ、音楽の青空文庫を目指しているという、個人のサイト「Blue Sky Label」を見つけました。パブリックドメインとなったクラシック音楽をMP3ファイルで配信しているということです。さっそく、ティボーとコルトーが演奏するフランクのヴァイオリン・ソナタを聞かせていただきました。なんと音源はSP盤だそうです。

SP盤”というキーワードで、また時間遡行してしまいます。半世紀も前、小学生だったころにベートーベンのシンフォニー「田園」を聞いたのが、記憶に残る、クラシック音楽との初めての出会いでした。父の所蔵のひどく厚いアルバムに、十数枚のSPレコードが収められていて、それを木製の蓄音機で聞いていました(さすがに手回しではなく電動だったと思うのです。電蓄といったかな)。一緒に聞いていた幼い弟が、第四楽章の雷鳴で、驚愕のあまりひっくり返ったのです。その様子があまりにおかしく、この曲を聴くたびに、あの頃住んでいた小さな家と、部屋の黄ばんだ畳を思い出すのです。その弟は今「のだめ」にはまっているらしいです。

先日、図書館でドヴォルザークチェコ組曲のCDを探していたら(私も、おもいっきり「のだめ」の影響)、クラシック音楽CDコーナーの棚が、スカスカで、かなりの貸出がある様子でした。テレビの影響って大きいですね。音楽を聴きながらパソコンで仕事をしてもフリーズしないくらい、パソコンの容量が大きくなり、安価なデジタルプレーヤーが普及して手軽に音楽が楽しめる時代に、SP盤の音に出会って感慨深いものがありました。

気がつけば、書庫の記事が百になっていました。1ヶ月10冊のペースです。まあこんなものです。