MITの博士でさえ戸惑う悪しきデザインの例,例,例…。日常の道具から巨大装置まで,使いにくく,ミスを生みやすいデザインが満ちあふれているのはなぜか。それをどう改善すべきか。第一級の認知心理学者がユーモアたっぷりに論じた痛快な本。
よくデザインされたものは、容易に解釈したり理解することが出来る。そういうものにはどう操作したらいいか目に見える手がかりがある。デザインの悪いものは、使いにくいし使っているといらいらしてくる。そういうものには、手がかりがなかったり、場合によっては間違った手がかりがあったりして、利用者たちを間違わせたり、あたりまえの解釈や理解をじゃましたりする。そのおかげで世の中は、いらいらの声、理解できないもの、誤りを引き起こしやすい機械などでいっぱいである。この本は、そのような状況を変えようとする試みである。(「第1章 毎日使う道具の精神病理学」より)
ONnojiさんにお薦めいただいたこの本は、17年も前に翻訳され、初版と同じ値段で版を重ねているようで、ずいぶんと広く永く読まれているんですね。今までデザインというとアートだとしか認識していなかったのです。そうか、工業デザインといわれる分野なんですか。デザインという分野は全くの素人ですしこういう本は読みなれていないので、雑駁な感想です。
近所に新しくできたバリアフリーの公民館でドアと格闘した経験があります。開き戸だと思わせるデザインの取っ手がついているのに、引き戸でした。何人もの人がこのトリック (?) にひっかかっているのを見ました。このごろの流行にはついて行けないと思っていましたが、やはりデザインが間違っているんですね。携帯電話も、テレビやビデオのリモコンも使えないのは自分のせいだと後ろめたく思わなくてもいいというのは、ありがたい話です。
人間の認知に関する話の一部は、脳と視覚と光と視覚の科学で読んだ事がありましたが、認知心理学もしくは認知科学の知識を実用する場面を始めて知りました。聞いたことはあってもよくわからなかった「アフォーダンス」という言葉の意味がすこしわかったような気がします。
ダイアルは「回せ」と言い、ボタンは「押せ」と私たちをアフォードするんですね。もちろん物の形にすべての情報があるのでなく、それを認知する我々が情報を持っているわけですが、物の形が我々の行動を促すきっかけになるというのは納得です。さらに曲解すれば、たいていの場合、本は私に「読むこと」をアフォードしますが、ある種の本はそうではない。いやいやこれは外見やデザインに由来するだけではない別の情報もあるので適切ではないでしょうが。
キッチンコンロのつまみの配置に関する話がありました。4つのバーナーに4つのつまみがあるとき、どれがどれに対応しているのか、自然にわかるような対応付けが望ましいというのはとても納得できました。自分を責めなくていいと聞いて、調子に乗って言えば、コンロを解説した図の並びが少しわかりにくいのです^^。
縦書き右開きの本では説明される図の順序は、下の図(番号は後から付けたもの)で1→2→3の順が自然ですが、本書で実際の説明は2→3→1で横書き左開きの本のままに配置されていました。このページでは図のレジェンドが横書きですが、本文は縦書きですから直感的に順序がわかりませんでした。これはノーマン氏の責任ではなく、こういう本を縦書きで出版する習慣の弊害でしょう。