壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

図書館は本をどう選ぶか

図書館はどう本を選ぶか
図書館は本をどう選ぶか 安井一徳
勁草書房 2006年 2100円

日本の公共図書館での、本を選ぶ基準はなにか、という議論です。たまたま、思いがけずおもしろい本を、いきつけの図書館で見つけたとき、この本は誰かがリクエストしていれたものなのか、図書館の方針として買った本なのか、知りたかったからです。

図書館の新着本リストを見ると、かなりのハウツーものがあり、これは明らかにリクエストによると思ったのですが、リクエストはどのくらいあって、図書館は自主的にどんな本を選ぶのでしょうか。

結論から言えば、この本には、図書選択の具体的指針や現実には一切触れられていません。知りたいことは書いてなかったのですが、もっと理論的側面を知ることができました。今は国会図書館に勤務する1982年生まれの著者の、卒論(ネットで読める)として書かれたものの加筆だそうです。

この本を読むと、図書館における蔵書選択はそんなにお気楽で簡単なものではないようです。ある公立図書館の蔵書廃棄問題に絡んで最高裁まで争われた裁判があったそうです。

公共図書館の図書選択には、本の価値に基準を置く「価値論」と、利用者の要求に基準を置く「要求論」があるそうです。この本で結論が出ているわけではないですが、その実体はどうなのでしょうか。市民参加の「選書ツアー」の話が出てきます。

中学生の頃、図書室の本の選書ツアーに行ったことがあるのを思い出しました。「東販」か「日販」かの取次ぎ店に行き、本の量に圧倒されました。今でこそ大型書店があってそう驚きはしませんが、アマゾンの倉庫を見学したい。在庫八百万種だそうです(がっちりマンデー情報)。市民の側からは、お気楽な選書ツアーも、図書館側から見ると、さまざまな問題を含んでいるそうです。章毎に見ていきます。

第二章  アメリカの公共図書館の歴史を見ると19世紀半ばに設立されたボストン公共図書館に始まり、啓蒙的な意味での価値論から、20世紀初頭には要求論(ただし要求には、顕在的要求と潜在的ニーズがある)が出たが、戦後になっても紆余曲折があるようで、一般的価値論が多少強いようです。

第三章  日本では図書選択正史を描くむずかしさがあって、それは現場関係者と研究者の間に認識に大きな断絶があるからなのだそうです。現代の日本の公共図書館の図書選択においては要求論が強いものの実は混沌たる状況だそうです。もう少し具体的には、予約やリクエスト、複本のことで、ベストセラーの複本をどれほど用意すべきか、蔵書に含まれない資料をリクエストされたとき、それを借用するか、購入するか(可能であれば)ということで、リクエストされても買わない本はある(予算の点だけではなく、価値基準があるらしい)のです。

第四章  市民参加の選書ツアーが公共図書館主催で行なわれ、参加者が選んだ本を取りまとめ、一部図書館員が選別したそうです。選書ツアーはリクエストの一部をなす、ささやかな試みというように素人は感じるわけですが、この選書ツアーが図書館の現場関係者の間で議論になりました。一つは参加者の要求を制限したこと、もう一つは選書を市民に任せたことが、図書館員の専門性を侵害するのではないかということだそうです。

第五章 市民の潜在的要求を調査する事自体が、アンケート形式ではバイアスがかかる。要求論にあっても、図書選択の価値判断の基準があることは明白であり、説明責任があるはずなのに、それが言語化されていない。意識化、言語化されないものは、議論の対象にならず、批判することを許さない概念となっているというのです。平たく言えば、「価値基準ははっきりしていない」ということです。

第六章 情報の複製が困難だった時代には、消費者は、書籍の製造には対価を支払うが、公共図書館でただで利用できるその中の情報には支払わなかった。ところが、書店店頭での雑誌の「デジタル万引」(写メールでパシッ)が問題となるのが、電子情報がますます主流になる現代です。図書館での情報の扱いに疑義が表明されたとき、自らのよって立つ基盤の正当性を言語化しなければならないのです。

かって活字中毒者だった私は、子どもの頃、売れない古本屋の店番になることを夢見ていました。図書館員になるという知恵すらありませんでした。長じて図書館司書の存在を知ったとき、資格取得の要件に、図書館情報学とリファレンスサービスがあるのを知りました。図書館員の専門性は、図書自体の知識に精通しているだけでなく、リファレンスサービスに発揮されるものなのでしょうか。町の図書館では、なかなか要求がないかもしれないけれど、いちど利用してみたいものです。