壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

オカシナ記念病院  久坂部 羊

オカシナ記念病院  久坂部 羊

角川文庫  図書館電子書籍

人はどう老いるのか』で著者は独自の死生観と高齢者医療の理念を展開していた。著者の考えには大賛成だ。この理念をユーモア小説仕立てにしたのが本書のようだ。

理想に燃える新人医師が後期の研修先に選んだのが、南西諸島のどこかの島にあるらしい岡品記念病院。新人医師がその島で出会ったのは、今まで考えたこともなかった医療に対する概念だった。オーナー院長の岡品意了<オカシナイリョウ>、その他にもダジャレのような名前の人々が登場してドタバタの展開ではあるが、現在の医療、特に高齢者医療における問題点や矛盾をユーモラスかつシニカルに突いている。

まともな診察や検査はほとんどなく、医師や看護師は病院に来る老人たちとおしゃべりばかりだ。がん患者は手術も抗がん剤も拒否する。患者たちは自分の死期を悟っているから、この病院では患者の意志を何よりも尊重するのだ。健康診断やがん検診は病気を見つけてしまうので行わない。認知症はただの耄碌だから病気ではない。臨終期には蘇生処置をしない。寝たきり老人にはしない。最初は戸惑っていた新人医師も、だんだんにその考えに感化されてくる。でも、2年間の研修を終えて東京に戻る新人医師にむかって、岡品院長は「東京でふつうに働きたいなら、ここの医療は全部忘れたほうがいいぞぉ」と言う。

こういう「ほどよい医療」には賛成だ。線引きの難しい問題はあるが、こんなことを続けられるのは、病院の経営が経済的に「ある財団」に支えられているため、検査や処方を目いっぱいやらなくても困らないからだ。そして何よりも、ここの島民が長生きを求めずに、自然な死を受け入れるという独特の死生観を持っているからだろう。

現在の公的医療保険制度を持続するためには、保険料を上げるだけでは追い付かない。高齢者医療をどうするのかというのがさしあたっての問題だと思う。現実に制度を変えるためには、難問山積でどこまで踏み込めるのかわからない。しかし、寝たきりになって長生きしたい高齢者はいない。家族だってそれを望まないと思う。でも皆の中にある倫理観や常識、死生観が変わらないと、高齢者医療の問題は前に進めないかもしれない。

私はもうすぐ後期高齢者。自分で決められるならこの世に未練はない。やんわりと医療を辞退しながら過ごしたい。でも、人それぞれ。100歳まで長生きしたいという人の希望も尊重すべきなんだろう。高齢者に限らず命の問題に正解はない。

軽く読めるユーモア小説なのに、いろいろ考えさせられた。実用書よりもフィクションの方が考える余地が大きい。しかし、考えれば考えるほど、わからなくなってくる。そろそろ耄碌?