壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

安楽病棟 帚木蓬生

安楽病棟 帚木蓬生

集英社文庫 2017年8月

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この文庫本の出版は2017年ですが,書下ろしは1999年で新潮社。20年前,認知症は痴呆,看護師は看護婦でした。介護保険法が施行されたのが2000年ですから現状とは異なる事も多いのでしょうが,高齢者医療の実態はどれくらい変化したのかと考えると,あまり進歩していないなという感想です。20年以上前のミステリーですから,ネタバレで感想を。本の帯にある「医療ミステリー」の惹句は適切だったのか? 

 

文庫本で600ページの小説は,非常に冗長に進行します。30章のうちのはじめの10章は,痴呆病棟に入院する患者やその家族の一人語りです。診察している医師に向かって,患者や家族が今の暮らしやこれまで生きてきた人生を饒舌に語り続けます。20世紀の終わりに80歳を超えている患者が多いので,様々な戦争体験が印象的です。家族は痴呆症状の出た患者を介護しきれずにやむを得ずという感じで病院に入院させています。痴呆を抱える高齢者の,一人の人間としての尊厳を強く感じさせる10章です。

 

中間の10章は,大学出たての新人看護婦城野が,優しい言葉で淡々と語る病棟の日常です。看護婦と看護助手,介護士たちはこんなにも大変な仕事を手際よくこなしているんだなあと感心します。病棟の日常では感情表現の薄い患者たちも,季節の行事や地域の小学生との交流会ではアッと驚くパフォーマンスを披露し,笑いを誘う場面も多々あります。また,先日までいつもとおりだった患者が少しの間だけ苦しんで亡くなることもあります。しかし,何といっても高齢者ですから,しょうがないのでしょう。病棟医が公民館で行った「オランダにおける安楽死の現状」という講演会を聴きに行った城野看護婦の感想が,一章はさまっています。でも「医療ミステリー」という本の帯の宣伝文句がなければ,私たち読者は,患者たちの死を不審死なのか?と疑うことはないでしょう。

 

終わりの10章でも,急変した患者が亡くなっていきますが,病棟の日常はいつも通りです。病棟医の香月と話すことが多くなった城野看護婦は,香月の終末医療に対する考え方を耳にする場面が多くなり,患者の急死が続いています。最終章の香月医師に宛てた城野看護婦の告発の手紙の中で,初めて「医療ミステリー」にたどり着きます。

 

本の帯にある「医療ミステリー」の惹句は適切だったのか? この惹句がなければ,この小説の巧妙な構成(事件性を感じさせない構成)に最後で驚かされ,なるほどと感心したかもしれませんが,冗長な筋運びに途中で飽きてしまったかもしれません。反対に「ミステリー」と銘打ってあるからこそ予断をもって,いつ事件が発覚するのかと半ばわくわくしながら読み進めることができたのかもしれません。

 

ただ作者が伝えたかったことはミステリーそのものではなく,高齢化社会に向けて,「終末期医療とは何か,個々人が死とどう向き合うか,現実的にどんな対応が可能なのか」ということを私たちが考えていかなければならない社会が来るのだということを言いたかったのでしょう。簡単に結論の出る問題ではなく,時代ととともに価値観も変わっていくでしょうが,人間の尊厳が尊重されるように願うばかりです。

 

では「人間の尊厳」とは何か? ウ~ よくわからないので,高齢者の私は今のところ「延命治療は望みません」。ってこんなところに書いても効力がないので,去年作ったエンディングファイルに書いておきます。「長いお別れ」も認知症問題。このごろ気になってしょうがない…