壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

舟を編む   三浦しおん

舟を編む   三浦しおん

光文社   電子書籍

再読。NHKBSで放送中のドラマを見て、こんなエピソードあったかな?と、10年以上前の記憶を確かめた。出版社の辞書編纂部門の話だが、ドラマは原作の後半部分から始まっていた。そういえば映画もあった。原作は読みやすく、登場人物はコミック風で軽いタッチだが、会社で違う部署に異動になり、戸惑いながらも新しい仕事に向かって行く様子が面白かった。10年以上前の原作だから、ドラマでは辞書のデジタル化云々も出てくるのだろう。

 

探してみると、わたしの本棚に辞書・辞典・事典の類はもう一冊しかなかった。終活で他は潔く処分した。惜しい気もしたが、老眼であの小さな字が読めなくなり、あきらめた。一冊だけ残っているのは、『新明解国語辞典』。赤瀬川原平新解さんの謎』が面白かったためである。

小学生の頃(60年以上前)には、国語辞典を引く練習や競争をした覚えがある。国語辞典、漢和辞典、古語辞典、英和辞典、和英辞典など、沢山の辞書類を持たなければならない時代だった。百科事典が愛読書だったこともある。長じて、専門分野の事典や辞書もたくさん持っていた。

いつしか、CD-ROMの広辞苑が出、電子ブック、電子辞書が普及した。電卓くらいの大きさの器械に何冊もの辞書や事典が収まっているのにびっくりしたものだったが、今やスマートフォンに「○○の意味は何?」とつぶやくだけになった。情報の真偽を問わなければ・・・・。

この先、辞書はどのように変遷するのだろうか。首の後ろにあるプラグに端子を差し込んで、情報を得るようになるのだろうか。それとも、電波を直接、脳で受け取ることができるようになるのだろうか。なんか怖いな(笑)。