壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

きわどい科学

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きわどい科学 ウソとマコトの境域を探る At the fringes of science
マイケル・W・フリードランダー  白揚社 1997 田中 嘉津夫 久保田 裕 訳

疑似科学と正統科学の間のグレーゾーンにある境界について、かなり新しい例も挙がっています。
常温核融合はまだ記憶に新しく、素人目には、当時は高温超伝導とセットのような形でありうることなのかととらえられていました。結局のところ、今ではごく一部の現象を除いて、全くの誤りであったと言う認識でよいのでしょうか。日本でも常温核融合に携わった人は多かったようで、当初の常温核融合ではなく、別の形のようですが、今でも固体内核反応という名前で研究が行なわれているようです。

“科学が「おそらく本物の科学」と「たぶん疑似科学」をどのような方法で区別するのだろうか。どちらかにはっきり分類できない例が存在することは確かである。”という立場をとる著者は、“ことによると、(常温核融合について)ごく少数の妥協しない連中がチェシャ猫のように捉えどころのない理論を執拗に追い求めていくにつれ、やがて何かが姿を現してこないとも限らないだろう。”と言っています。

相対主義的な科学観(一部の社会学者や哲学者が持つ、科学知識は論者の見解や、社会的な環境に依存し、物理的な現実に支えられているわけではないと言う考え方)という表現を知りました。
現在の自然科学のノーマルさ?がどのようなメカニズムで支えられているか(雑誌の査読とそれ以降の相互検証)について詳しい考察がされています。ただ全く新しい理論を排除する危険性を取り除くため、ネイチャー誌には、「論文」「単報」「論文評」以外に1990年から「仮説論文」という欄が設けられているそうです。(これは知りませんでした)。

擬似科学と同じくらい革命的な新理論(相対性理論 宇宙論 量子論)であっても、科学者仲間の審査を通過して、疑似科学とははっきり区別できるものです。

第7章でポリウォーターは常温核融合とのアナロジーで語られています。水に関する擬似科学の種はつきません。最近、水に言葉をかけると結晶の形が変わる(水からの伝言)をまじめに信じている若い人に出会いましたが、水に関する疑似科学の種は金儲けの種でもあるため、取り扱い注意という感じです。多少だまされても実害がなければいいかとも思いますが、水からの伝言が、学校の道徳の教材になっていることを聞くと、そう単純なものでもないと思います。

ヴァンベニストのホメオパシー(この民間療法はフランスで流行っているそうです)については、ネイチャー(nature 333(1988)816Human basophil degranulation triggered by very dilute antiserum against IgE)がその論文を(但し書き付で)載せたあと、科学者(スコトフォビンを検証したスチュアート)ばかりかプロのマジシャン(アメイジング・ランディーというオカルト狩りで有名な人)が、実験データの統計分析から検証した、そのドタバタ劇が紹介されていました。

第10章では科学におけるイカサマ(データの捏造や改竄)を取りあげています。ヒトクローン細胞のウソクさい話は耳新しいことですが、イカサマと疚しいところのない誤りを区別することはそう簡単なことではないでしょう。
データ捏造については、「科学の罠 過失と不正の科学史」 アレクサンダー・コーン という本があります。

政治がらみの擬似科学(第11章)に、ルイセンコ事件とナチスのアーリア物理学(相対論量子論ユダヤ物理学として否定)と並んで、アメリカの創造科学が現在進行中の事例として取り上げられています。

最終章のきわどい科学にどう立ち向かうかの戦術はなるほどと思いました。