壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

パリ 地下都市の歴史 ギュンター・リアー/オリヴィエ・ファイ

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パリ 地下都市の歴史 ギュンター・リアー/オリヴィエ・ファイ
古川まり訳 東洋書林 2009年 3800円

怖がりなので実際には行けませんが、「地下」とか「洞窟」とか好きです。パリの下水道より、もっと興味を惹かれるものがパリの地下にありました。

パリの地下にあるものは、メトロや大下水道網ばかりではありません。パリ市民三十世代六百万人の骨を収容するカタコンブは序の口で、二百年間調査が行われても未だ全貌がつかめない石灰岩採石場の跡地が、メトロや大下水道網よりずっと深くに、蜘蛛の巣のようにパリの地下に広がっているのだそうです。だから地面の陥没もしばしば。

セーヌ左岸には石灰岩の鉱床が、セーヌ右岸には石膏の鉱床が広がり、中世に建造されたノートルダム大聖堂ルーブル要塞も数多くの修道院も全部、パリ地下から切り出された石材によって建設されました。さらにパリの良質な石材は輸出されて外貨を稼ぎ、その結果パリの地下はスイスチーズのように穴だらけになってしまったのです。

18世紀の半ば以降各所で地面の陥没が起き、採石場監督局が作られて地下坑道が一応管理下に置かれました。悪臭のため、街中の墓地の移転(『排出する都市パリ』にありました)が余儀なくなり採石場跡地に遺骨が放り込まれたことが、大規模なカタコンブの始まりだそうです。十九世紀末の退廃趣味によってカタコンブを始めとする地下への嗜好が高まり、見学会は黒山の人だかりでした。パリの地下はまた、陰謀渦巻く魔の巣窟でもあり、革命や戦争のたびに逃亡者の避難所や墓所となりました。例えばパリ・コミューンの蜂起が沈静化した後、地下坑道に逃げこんだコミュナール数万人が地下で犠牲になったそうです。

パリの地下が内包する冒険と恐怖のモチーフは小説や映画に取り上げられています。原則立ち入り禁止となった現在でも、「カタフィル(地下愛好家)」と呼ばれる人々が旧坑道を徘徊しているそうです。パリ在住のドイツ人ジャーナリストがドイツ語で書いた本。著者ギュンター・リアーが実際に地下に潜ったドキュメンタリー部分もあります。