壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

ローマ人の物語6,7 勝者の混迷 上下

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ローマ人の物語6,7 勝者の混迷 上下
塩野七生 新潮文庫 2002年 

マケドニアカルタゴを滅ぼし地中海の覇者となったローマが、外部の敵を失ったために国内の統一に欠け、いわば内臓の疾患を病んだ時代です。

第一章 グラックス兄弟の時代 (紀元前133年~前120年)
ローマの主要産業は農業であったが、属州からの農産物の増大が、中産階級である自主農に打撃を与えた。また経済活動の活発化に伴い商業に携わる階級が力を持ち、失業者が増え格差が拡大していった。ローマ人ハンニバルを破った勝者スキピオ・アフリカヌスの孫である、ティベリウスとガイウスのグラックス兄弟護民官として改革を実行するが、時代を先取りしたものであったためか、元老院と対立し流血ののちに兄弟は死に、その改革も無に帰した。

第二章 マリウスとスッラの時代 (紀元前120年~前78年)
平民出身のガイウス・マリウスは、ローマ正規軍を志願兵によって構成することで、結果的に失業問題を解決した。ローマ連合の同盟諸国の市民(=イタリア人=同盟者)とローマ市民の権利の不公正から勃発した同盟者戦役を経て、同盟国との平等が成立した。ここで活躍したルキウス・コルネリウス・スッラは執政官として、オリエントでローマに反旗を翻したポントス王ミトリデタスに向けて出撃するも、二度もマリウスによって足をすくわれる。反撃に出たスッラは武力でローマを制圧し、巧みな外交手腕でポントスとの講和を果たし、任期無期限の独裁官として改革に取り組んだ。晩年は政界を自ら引退した。

第三章 ポンペイウスの時代 (紀元前78年~前63年)
スッラの死後わずかの間にスッラ体制は崩壊し始めた。反スッラ派(セルトリウス)をスペインで撃ったポンペイウスは執政官となって、地中海全海域の海賊をわずか三ヶ月で掃討した。さらに小アジアを平定して、地中海はすべてローマのものになった。

ローマでは新法が成立すると、旧法で矛盾する部分が自然消滅するようになっていたため、。法律は朝令暮改。ローマ人同士の争いは結構すごい。内側に向いた憎悪は始末が悪いです。スパルタクスの乱ってこの時代だったのね。塩野さんはあっさりとしか触れていないのですが、積読の「剣闘士スパルタクス」(佐藤賢一)を読もうと思います。