壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

巨船ベラス・レトラス

イメージ 1

巨船ベラス・レトラス 筒井康隆
文藝春秋 2007年 1200円

佐藤亜紀の作品を読んでいるうちに何故か筒井康隆を連想した。思えば中学時代にSFマガジンで「お紺昇天」を読んで以来「士農工商犬SF」の時代からずっと作品をコンプリートしたがツツイストではなく「朝のガスパール」をリアルタイムで読めなかった悔しさもあり断筆宣言以降は新作を追うこともなくなっていたが最近またファンとして復帰し「壊れかた指南」から最新刊にやっと追いつきこれで漫画以外の単行本はほとんど網羅したが初出誌まで読むことはもうない。本書は「大いなる助走」の再来のような内容とおもいきや筒井康隆も年とともに丸くなったらしく読まれない文学は文学として成立しないと、句読点の数も多少は増え、馬鹿丁寧に分かりやすく解説しているが、難解だと読まれないという現実を嘆いているのも確かだ。何人も出て来る小説家は筒井康隆氏の分身であるらしく、時間空間と虚構現実の境界を乗り越えさらにその境界も溶け果てて、作中人物すら入り乱れ、阿呆船乃至愚者の船のような巨船ベラス・レトラスの中で延々と文学論文壇論を戦わせ、得意のメタフィクションで最近の出版界も文学賞の動向もノベルズの増加も古典を読む読者の減少も映像文化との係わり合いも、さらに筒井氏本人の最近の著作権侵害事件まで語られるが、船が向かう先は定まらない。ホメロスからボルヘスアウグスティヌスからドーキンスまで縦横自在に駆け回り、文学をめぐる現在の状況に怒りをぶつけるが、それもすべて虚船の中の議論であるゆえに毒の成分は希釈されもう猛毒というほどではない。まあいいか、作者も読者も年をとったのだから。しかしアンブロシウス以前の「音読できないテクスト」を現代に蘇らせる構想を持っているのなら、生きているうちに是非実現して欲しい。