壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

21世紀の文学(1)現代世界への問い

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21世紀の文学 (1) 現代世界への問い 
筒井康隆編 岩波書店 2001年 2200円

佐藤亜紀氏の文章を読んでいると、筒井康隆を思い出してしまうので、二つの名前をキーワードに本を探したら、これに行き当りました。全十冊の全集の一冊です。分かり易くかかれた文学論は面白いですね。他の巻もいろんな作家が書いていて、おもしろそうです。

「かつての哲学との蜜月の時代から,文学は大きく変化し,今では科学──厳密には科学技術と言うべきだろうが──との関係が無視できなくなった.政治や科学技術の大衆化が進行するとともに社会は変化し,文学にもまたそんな時代に相応しい想像力や方法が求められている.現代文学のことばが,視点が,第一線の文学者や表現者たちによって,この世界の中へどのような風穴を穿つのか.このシリーズは,そのあらゆる可能性を求める旅への旅券なのだ.」(筒井康隆)

世界から文学へ文学から世界へ 筒井康隆 
日本資本主義と文学 関井光男 
あえて文学の革命を唱える 島田雅彦 
物語のゆくえ 佐藤亜紀  
命令と物語 港千尋 
戦争と文学の言説を検証する 川村湊 
「弱者」と文学 清水義範 
なりすまし文学の現在形 小谷真理 
文学の合理的な死滅 大岡玲 
現代世界と文学の行方 筒井康隆 
佐藤氏と筒井氏に共通のキーワードは毒舌と文学論と出版社とのトラブルかな。筒井氏の毒舌は年とともに無くなったので、佐藤氏の毒舌が突出しています。筒井氏の「読者罵倒」を念頭においているのか、佐藤亜紀氏の「物語のゆくえ」は読者罵倒の形をとった文学論です。内容は「小説のストラテジー」で展開した文学論をコンパクトにまとめたものというか、こちらの方が前に書かれているはず。

しかし表現の仕方はずっと過激で、「小説のストラテジー」で「物語の類型から逃れないような型抜きの大量生産の作品は、ティッシュ云々」の部分が、引用するのが憚られるくらい凄い事になっていて、読み手も書き手も罵倒されています。そして「わが国の純文学の作家は、ほとんどが二世か、三世か、業界人云々」だそうです。確かに多いですね、この本の共著者の中にもいますね。佐藤氏が相当にお腹立ちなのはあの事件の直後だから?と思うくらいの見事な大暴れぶりでございます。

巻末の筒井氏の「現代世界と文学の行方」も見事。すべての記事の内容に触れつつ、未来の文学の可能性を示しまとめていました。さらに、この文章の内容を小説化し、最新刊「巨船べラス・レトラス」として出版しています。プロですね~。(p246のテロメローゼはテロメラーゼ)

職業作家の出現は著作権の整備と関連している(関井光男)。島田雅彦氏の論は何をいっているのかよくわからない。大岡玲氏の論は、科学技術により不死を得た時文学はどう変容するかという問いなのですが、結局何をいいたいのかよくわからない。港千尋氏のサン・クェンティン刑務所の重犯罪の囚人たちが「ゴドーを待ちながら」がすっかり気に入った話が気に入りました。“-待つってことがどういうことか、俺たちがよおく知ってるって-”。  「麦と兵隊」は戦時下の私小説である(川村湊)。

清水義範氏の話が柔らかくて分かりやすいのはいつもと同じ。妻との会話形式で、弱者とは何かを考えています。弱い人間に救いの手を差し伸べるのが宗教、その人間の存在とは何かを追い続けるのが哲学、人間の弱さを知ってそれをただ表現するのが文学。未来の消防隊員の中に一人紛れ込んだ人間はロボットから見れば弱者であり、その時点で初めて人間が文学的になれるかもしれないといいます。

小谷真理氏の取り上げているメアリー・H・ブラッドリーと娘のジェイムズ・ティプトリー・ジュニアのなりすましと、それぞれの作品「白人として生きる」と「接続された女」に興味を持ちました。(後者は「愛はさだめ、さだめは死」早川文庫の中に収録)。ウイリアムギブソンの「あいどる」もそのうち読もうと思いますが、「ニューロマンサー」がまだ積読状態でした。