壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

塩一トンの読書

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塩一トンの読書 須賀敦子
河出書房新社 2003年 1200円

白水Uブックスを探していて「コルシア書店の仲間たち」という題名に惹かれ、「読書力」で紹介されていた「ヴェネツィアの宿」からたどり着いた須賀敦子さんのエッセーです。分類番号019のコーナーの本で、図書館のこのコーナーを眺めるのが習慣になってしまいました。

塩一トンというのは、著者のイタリア人の姑のたとえで「人を理解するのには塩一トンを舐めつくすくらいの長い時間がかかる」という言葉に由来するそうです。ゆっくりと時間をかけて、いろいろな作品を読み、心から本を愛している人の書くエッセーに引き込まれました。

取り上げられている本は読んだことのないものばかりでした。ベルヌの「海底二万里」と谷崎「細雪」だけは既読でしたが、「細雪」に関しては、本の冒頭にあったように「すじ」だけを追って読んでしまったのかもしれません。この評論をよんで「すじ」をわずかに思い出しました。たぶん十代の終わりに読んでいて、古い本の表紙と本の手触りを覚えていますが、本を読んだときの感情を記憶していません。

細雪」を再読する気にはなれませんが、若いころ(十代、二十代)に読んだ本で、また読んで見たいものをいくつか思い出しました。谷崎繋がりで、読むのを中断せざるを得なかった本を思い出してしまいました。三島由紀夫豊饒の海」です。あの事件の日「奔馬」を読んでいました。あれからもうだいぶたっているので、そろそろ続きを読んでもいいかなと思います。

読みたくなった本を拾い出しておきます。ユルスナールハドリアヌス帝の回想」。タブッキ「インド夜想曲」。日野啓三「光」。ノーテボーム「これから話す物語」。関川夏央「砂のように眠る」。すぐれた書評は、敬遠していた本との溝を埋め、読みたい本の幅を広げてくれるものです。まずは、須賀敦子の小説を図書館に借りに行きます。