壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

砂のように眠る

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砂のように眠る むかし「戦後」という時代があった 関川夏央
新潮社 1993年 1400円

須賀敦子「塩一トンの読書」で紹介されていた本です。関川夏央を読んだことがありませんでした。著者自身の短編小説と評論が交互に組み合わされた一風変った構成です。

「山びこ学校」「石坂洋二郎に見る民主」「にあんちゃん」「なんでも見てやろう」「二十歳の原点」「田中角栄私の履歴書」と六つのベストセラーにまつわるシーンを切り出し、それぞれに年代の異なる人たちの回想からなる小説があてはめられています。「クリスマスイブの客」「みぞれ」「思い出のサンフランシスコ」「春の日の花と輝く」「ここでなければどこでも」「時をへてもみんな嘘つき」

関川夏央さんは昭和24年生まれですから、私も同じような年代として「にあんちゃん」以降の時代を経験しているはずです。私が生まれたときの母子手帳には、粉ミルクの配給券がついていました。就学以前の写真をみると、男性の夏の普段着がランニングシャツでした。日本中が貧しかった時代が確かにありました。

いつからどのように日本が、そして日本人が変っていったのか、個人の内部記憶だけでは思い出せそうにありません。しかし、その時代の外部標準:例えばベストセラー本やヒット曲と共に時代を回想すると、何かが見えてくるようです。

あの時代に、私は何をし何を考えていたのか、懐古とはちがう、意識的な回顧を迫られているような気がします。それなのに、たいしたことも考えずに今まで生きてきたのかなあと、ちょっと情けない思いです。関川夏央「水のように笑う」という本を探してみましょう。