壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

1809

イメージ 1

1809 佐藤亜紀
文藝春秋 1997年 1714円

ナポレオンによって神聖ローマ帝位を奪われたカール大公は、スペインでの混乱に乗じて反撃に出るのですが、1809年ナポレオン軍はウィーンに再入城し、対岸に陣取ったオーストリア軍を殲滅すべくドナウに橋をかけます。この架橋工兵隊の工兵士官がアントワーヌ・パスキ大尉で、この物語の語り手です。私という一人称を彼という三人称に置き換えても全く不自然でない語り口で、ハードボイルド的歴史小説とでもいうのでしょうか。

時代や状況の説明は一切抜きに、物語は河に橋をかけるリアリズムに徹した場面から始まり、さらに殺人事件に巻き込まれて、公爵と名乗る人物に出会い、パスキははからずもナポレオン暗殺の陰謀に巻き込まれていきます。パスキ大尉は顔もよければ腕も立つし頭も回るという典型的な主人公タイプなのですが、本来は平凡な橋梁技師であり、自ら求めてではなく周りの人間たちに踊らされて、歴史の変曲点に置かれてしまいます。

ウィーンの街の怪しげな佇まい、死体累々の戦場にありながら一人の男の殺人事件を追う両国警察の不自然さ、クリスティアーネとの情事、ウストリツキ公爵と弟ヴェンツェルとその妻クリスティアーネの奇妙な絆、そして最後に明かされるウストリツキ公爵のはかりごとの理由などを知るうちに、この冒険活劇のような物語全体を覆うニヒリズムを感じるのです。