壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

ヴェネツィア暮らし

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ヴェネツィア暮らし 矢島翠
朝日新聞社 1987年 1400円

須賀敦子さんの友人のジャーナリストが、1980年代の初めにヴェネツィアで八ヶ月ほど暮らした時のエッセーです。長い歴史をもつヴェネツィアの街には、そこここにたくさんの文学作品、映画、絵画が溢れています。買い物、ゴミだしに洗濯という日常生活の背景には、やはり1000年を超える歴史が見え隠れしています。

ヴェネツィア派の画家ヴィトーレ・カルパッチョの絵には、運河を行く弔いの小船の上空に洗濯物が翻っているそうです。
カルパッチョ「十字架の奇蹟」
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かつて文化の中心都市として栄え、今は観光の町ヴェネツィアに住む人は、日本で言えば京都人に共通したところがあって、下水の行く末について無粋は質問をしたところ「おや、考えてもみなかった」とはぐらかされたそうです。垂れ流しの汚名をそそぐためにも都市下水網の計画はあるそうで、二十年もたった現在どこまで建設されているのでしょうか。

自動車も自転車も走らない街に、年に一度訪れる高潮アクアアルタの前には町に警報が鳴り響き、人々は色とりどりの長靴で歩き回るそうです。

ヴェネト干潟に浮かぶ島は、ゴミや浚渫した泥で作られた夢の島もあれば、その役目を終えて今は廃棄された島もあるそうです。かつて結核病院が建てられた夢の島サッカ・セッソラ島は1980年に病院が閉鎖されたそうで、google mapでみると空白の島も google earthでみると立派な建物が見えます。

サンミケーレは墓の島、サンテラズモは農業の島とそれぞれに役割をもつところは、これらが人工的につくられた島である事を強く印象付けます。海上に築かれた幻想のような町をやはり想像してしまうのです。ふと、シムシティーというゲームを思い出しました。この町をあのゲームの中に一度作って見たいものです。

「さまざまな時代に人々がこの町に読み取ってきた寓話は、栄華と退廃と滅亡の寓話。アクアアルタに襲われながら生き延びる道を探しているヴェネツィアは、いま地球の滅亡の寓話になるのであろうか、それとも存続の寓話となりうるのだろうか」という言葉は、20年たった今も新鮮に響きます。