壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

歴屍物語集成 畏怖

歴屍物語集成 畏怖 天野純希/西條奈加/澤田瞳子/蝉谷めぐ美/矢野隆

中央公論新社  図書館本

歴史小説にしてホラーでアンソロジーで連作短編。テーマは、生ける屍、アンデッド、Living dead、Walking dead、殭屍(キョンシ)、グール … ようするに、テーマはゾンビだ。並べただけの単なるアンソロジーじゃなく、五編が互いに言及しあっているところがあり、連作短編といっていい。表紙の怖い絵からして、夏限定の際物っぽいホラーかと思って読み始めたのだが、時代小説の手練れの作家たちの書く物語は手ごたえがあってとても面白かった。

歴史におけるIFを語って、伝染する病に対する畏怖も語られている。異国から持ち込まれた流行り病が、時を経て土着の病になっていくのか。COVID-19に思い至る。

序章」「終章」の枠は、昭和の初めにこの物語を、東北の寒村で極めて長寿という女から聞き取った、民俗学の研究者の書き物らしいが、柳田〈やなぎ〉先生とフリガナがあるので、柳田〈やなぎ〉國男とは別の人物なのかもしれない。

 

一番目は、1281年の戦場に現れた生きた屍の話。誰かに嚙みつかれて不死となった武士を、異国の兵たちが殭屍〈キョンシ〉と呼んで怖れている。劇画タッチの凄惨な戦闘シーンが続き、屍たちは自分を見失いながらも、生者の脳髄を啜り敵兵を倒し、「うがぁぁっ!」と叫ぶ。「有我」はここからきているのだろうか。襲来した異国の大船団は、忽然と姿を消した。後の人々は神風がふいたのだという。真実を語り継ぐわけにはいかなかったのだろう。

二番目は、1571年の比叡山に現れた狐憑きの話。300年前の弘安の役の際に現れた病で、それに罹った者は生きた屍となった。延暦寺では300年の間その病を保存したというのだが、病はいずれ漏れて出ていく。数多の僧兵が罹患し、叡山は「死霊の山」となった。織田信長が叡山を焼き討ちにする口実を与えてしまった。凄惨な戦闘場面に少々ウンザリ。

三番目は、江戸時代初期の山深い阿吽寺の裏手にある墓地の話。土饅頭(墓)に突き出て動く「土筆の指」を小坊主の真円が見つけた。兄弟子の実慧に知らせて寺男とともに遺体を掘り出したら、腐りかけているのに動き出した。西條奈加の描くゾンビ話は落語で聴く怪談のようなユーモラスな人情ものだ。殺された男が生きた屍となってたどり着いたのは・・・。兄弟子の実慧が「御仏の慈悲」と屍に語りかける。

四番目は、1793年の江戸銀座。死んだ女房のお菊は自分が人魚だという。山東京伝の前に二つの椀を並べ、どちらに人魚の肉が入っているのか当てさせるという「肉当て京伝」。人魚の肉を食べると、不老不死になるという京伝の黄表紙『箱入娘面屋人魚』を下敷きにした、哀しくて怖ろしい愛の物語。蝉谷めぐ美という初読みの作家だが、他の作品を読みたくなった。

五番目は、澤田瞳子が書く1826年の江戸城大奥。お局様の愛猫・漆丸が庭に倒れていた。「ねむり猫」のように動かない。大奥にときどき現れる「腐れ身」は古くからあった。罹れば眠るように死んだあと、生きる屍となって帰ってくるのだ。かつて娘が「腐れ身」になったお紺の方は、帰ってきた娘を手放せなかった。飼われている犬猫を通じて、嚙まれれば人間にも伝染る。防ぐには火で焼くしかない。猫を可愛がっていたお女中は、眠っている可愛い猫を始末することができずに、大奥から逃げ出す。

大奥には赤面疱瘡も流行っていたなあ。腐れ身もそれほど怖くない。そして、最恐だった、S・キングの『ペット・セマタリー』を思い出す。

 

以下は目次

序章

有我 一二八一年、壱岐             矢野隆  

死霊の山 一五七一年、近江比叡山            天野純希             

土筆の指 江戸時代初期、中部地方            西條奈加             

肉当て京伝 一七九三年、江戸銀座            蝉谷めぐ美         

ねむり猫 一八二六年、江戸城大奥            澤田瞳子             

終章