壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

あまりに騒がしい孤独   ボフミル・フラバル

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あまりに騒がしい孤独 ボフミル・フラバル
石川達夫訳 東欧の想像力2 松籟社 2007年 1600円

低調な読書生活を打破しようと、県立美術館に行ったついでに隣にある県立図書館(めったにいかない)で借りてきました。以前に須賀敦子さんの書評にあった『東欧怪談集』(これもいつか読みたい)を探していて見つけた、「東欧の想像力」というシリーズ。フラバルは現代チェコ文学を代表する作家だそうです。

三十五年間、僕は故紙に埋もれて働いている─これは、そんな僕のラブ・ストーリーだ。三十五年間、僕は故紙や本を潰していて、三十五年間、文字にまみれ、そのために僕は、この年月の間に三トン分は潰したに違いない、百科事典に似てきている。僕は、魔法の蘇りの水であふれんばかりのピッチャーになっていて、ちょっと身を傾けただけでも、僕の中から美しい思想が滾々と流れ出す。僕は心ならず教養が身についてしまい、だから、どの思想が僕のもので僕の中から流れ出たものなのか、どの思想が本で読んで覚えたものなのか、もう分からなくなってしまっている。(冒頭より)

プラハの故紙処理場の地下室で水圧プレスを操作して、あらゆる紙を紙塊にしては製紙工場に送り出しているハニチャの喜びは、故紙の中から美しい本を見つけだして読むことでした。故紙に混ざって、発禁にされ、また廃棄処分にされたたくさんの本が地下室の天井にある穴から投げ入れられます。そういう美しい本や価値のある本を潰さなければならないとき、ハニチャはその本を真ん中に入れて数々の複製画で周りを飾った紙塊を作ります。ほとんどいつもビールを飲み続け、時には若かったころの恋を回想し、時には引退した後にも払い下げた水圧プレスで紙塊を作る老後を夢見るハニチャ。35年も地下室で故紙を紙塊にしているのだから、結構な年のはずですが、語り手の「僕」は少年の無垢をもっています。


豪華な天金本が無蓋貨車で雨に濡れた無残な姿で運ばれていくところは胸が詰まる思いがして、私はこんなに本が好きだったかなあと思ったのだけれど、これはもちろん貨車で運ばれた別のものが意識下にあったからでしょう。故紙とともに本を潰すとき、ハニチャの地下室で本をかじるネズミを水圧プレスで一緒につぶしてしまったのと同じように思うのは、本が有機体であるからなのでしょう。

デリケートな語り口と独特なユーモアとグロテスクな事物の配列の妙で、詩のような美しさがあります。短い作品で読みやすく、チェコという国の社会や歴史、さらに人々の生活のイメージが湧き上がってくるものすばらしいものでした。♪♪♪