壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

通訳ダニエル・シュタイン(上・下) リュドミラ・ウリツカヤ

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通訳ダニエル・シュタイン(上・下)リュドミラ・ウリツカヤ
前田和泉訳 新潮クレストブックス 2009年 2000円・2200円

『ソーネチカ』 『それぞれの少女時代』と読んできたウリツカヤの最新翻訳です。一ヶ月遅れで出版された下巻が待ち遠しかったこと。

ポーランド生まれのユダヤ人としてホロコーストを奇跡的に生き延び、戦後カトリック司祭としてイスラエルに渡った実在のユダヤカトリック神父をモデルにした小説です。多数の資料(日記・書簡・手記・会話など)をちりばめたノンフィクションのような形式ですが、ウリツカヤによれば登場人物はあくまでフィクションで、小説というより「コラージュ」なのだということです。

登場人物の名前と場所、さらに年代にまで気を配る必要があり、久しぶりに緊張感と読み応えのある読書でした。あまりに多様で多数の語り手と、必ずしも年代順には並んでいない断片化した資料に戸惑いますが、その中からダニエルや彼にかかわりのある登場人物とその人々の人生が鮮やかに浮かび上がってきます。20世紀後半のイスラエル、時として悲劇的ながら魅力的なたくさんの人生の物語が絡み合って、歴史の大きな流れが形作られています。

ユダヤ人にしてカトリック司祭でありヘブライ語でミサを行うダニエルが目指すのは、(ダニエルが教皇ヨハネ・パウロ二世に語るところによれば、)原始キリスト教のような普遍性をもつユダヤ人もアラブ人も共存できるような宗教でした。ダニエルの周囲には、イスラエルに住む伝統的なアラブ文化をもつカトリック教徒、祖父がナチス党員だったドイツ人の女性、かたくななロシア正教の司祭とか、ありとあらゆる宗教的背景の異なる人物がいるのですが、誰に対しても愛をもって柔軟に対応するダニエルの宗教観は、一方で周囲からの風当たりも強かったようです。

パレスチナといえば「ユダヤ対アラブ」という単純な対立関係ととらえがちですが、こんなに多様で複雑な状況であることに改めて気付かされました。ただ、ダニエルの宗教観は私たち日本人には違和感なく受け入れられるものであるかもしれません。また、イスラエル時代に最も長くダニエルとともに働いていたヒルダが、ダニエルから手編みの赤いセーターを貰った誕生日の日記に書いた感慨には心動かされました。世界には人の数だけ哀しみも幸せもあるんだなと・・。