壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

禁断の科学 池内了

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禁断の科学 池内了
晶文社 2006年 1900円

以前、NHKの「知るを楽しむ」で池内さんの「禁断の科学」が放送されました。テキストまで用意していたのに、何か忙しいことがあって番組も見ず、テキストも開かないまま忘れていました。晶文社から同名の本が出ていることを今頃知り、今回読んでみました。平易で明確な言葉による分かりやすい文章でした。

第一部「戦争と科学者」では、科学者は錠前屋にたとえられています。解決が困難な問題(鍵をなくした箱)を目の前にすれば、問題が難しければ難しいほど、問題を解く(鍵を開ける)ことに熱意を燃やします。真理を求めること(鍵を開けること)に自らの存在理由を置き、それが何をもたらすのか(箱から何が出てくるのか)には想像が及ばないというわけです。科学のもたらすものはコインの裏表で、いいこともあるが災厄を招くこともあります。「箱を開けただけだ」という言い逃れはできるのでしょうか。

科学者には、鍵を開けるという「真理」への挑戦と、箱をあけた結果への「倫理」的対応が求められているといえます。特に二十世紀には、軍事技術と民生技術の壁が低くなり、科学者は「真理」と「倫理」のジレンマを常に抱えてきました。そういうジレンマの例がたくさん考察されています。古くはアルキメデスシラクサでローマ軍を相手に武器を工夫したのも、シラクサの王の要請によるものであって、個人としての戦争協力は不本意であったといいます。

例えば第一次世界大戦のころ、アンモニア合成で名高いハーバーはドイツで毒ガス研究の第一人者で、自ら進んで戦争協力したけれど、ナチスによるユダヤ人追放にあってスイスで客死しました。英国のフレデリック・ソディは毒ガス研究を拒否し、一方イスラエルの初代大統領になったワイズマンは、アセトン発酵法によりイギリスに協力し、ユダヤ人国家建設の支援を得たといいます。

こんな風にいろいろな科学者がいるけれど、「真理」と「倫理」の問題は科学者個人の問題であると同時に、社会や人類の問題でもあります。いやおうなく科学技術文明に生きる私たちもまた、科学技術の二面性(光と影)を認識することが大切です。そして科学技術の光を享受する先進国と、影の部分を背負い込む国があるという世界の非対称性に目を向けなければいけないという言葉が印象的でした。

その他、マンハッタン計画、冷戦下の核兵器、などなどたくさんのエピソードが紹介されていました。軍事をビジネスにしているというJASONというアメリカの科学者集団のことはまったく知りませんでした。(The JASONSという本がでているらしい。)
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いろいろ興味深かったので、ついでにNHKテキストを読み、某所で八回分の番組まで見ました。もちろん本書が内容的には詳しく、TV番組は一部しか触れられていませんが、さすがにうまく作られているし、映像のインパクトはとても大きいです。砂漠での核実験が成功し、喜びを表す科学者たち。

広島原爆忌の今日、もう少しまともな記事が書きたかったけれど、広島や長崎のことは感情が波立っていつも考えがまとまりません。