『司法解剖医が聴いた、哀しき「遺体の声」』という副題で、海堂尊「死因不明社会」の文献に挙がっていたものです。趣旨は同じように、日本は変死に対して解剖率が低く、検死システムそのものが前近代的であるため、死亡原因が特定されない例が多いということ。よって保険金殺人のような犯罪が表に出ず、冤罪がはっきりと証明されないというような、社会的な不利益があるということです。
警察医の7割が、日本の死因統計は信用ができないと考えていると聞くと、とても先進国とは思えないほどの後進性を感じます。変死のほぼ100%が解剖されるウィーンの事情と比べてみると、その差は歴然としています。ウィーンでは非犯罪と考えられたものの内1-2%に犯罪性が認められるそうで、表面的な日本の治安のよさもまた信用できなくなりました。身体観とでもいうんでしょうか、臓器や解剖に対する考え方の違いも大きいのですが、これは宗教の違いというよりは歴史的経緯の違いのようです。