壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

感染地図 スティーヴン・ジョンソン

イメージ 1

感染地図 スティーヴン・ジョンソン 
矢野真千子訳 河出書房新社 2007年 2600円

19世紀半ば、ロンドンの裏街は臭かった。下肥屋の賃金が高騰し、下水設備のないままに水洗トイレが人気を博したためだった。しかしもっとも大きな原因は50年間で三倍に膨れ上がったロンドンの人口爆発。汚物は街にあふれ屍骸さえ墓穴におさまりきらない。公衆衛生局は悪臭を防ぐために下水道を設置しテムズ川に排水した。テムズ川はロンドンの腸管だと著者は言う。コッホがコレラの原因を特定する三十年前だった。

こんな混沌と悪臭の中では、コレラの病因が瘴気であると思うのは当たり前かもしれない。1854年の八月末、ロンドンのソーホーに近いゴールデンスクエアー付近で突如発生したコレラは、二週間で数百人の住民の命を奪った。以前からコレラを追い続けていた医師ジョン・スノーは数年前にコレラの原因は飲料水にあるという論文を発表していたが、医学界での賛同はえられなかった。

しかし、1854年9月6日に彼は自説を証明する決定的な証拠を得たのだ。地道で徹底的な情報収集と、それを俯瞰する統計の視点をもって、スノーは教区委員会を説得してブロードストリートにある共同利用井戸のポンプの柄をはずさせた。猖獗を極めたコレラは下火となったが、世間はまだ飲料水媒介説を受け入れたわけではなかった。

ブロードストリートアウトブレイクが収束したあとも、スノーと共にコレラを追い続けた教区の若い副牧師ホワイトヘッドは、最初に発病した患者の家の汚水溜めが壊れて、ブロードストリートの井戸に汚水が流れ込んでいることを発見した。しかし、瘴気説に凝り固まっていた市の公衆衛生局は、スノーたちの調査結果を完全否定した。

イメージ 2有名なスノーの地図(死者の分布図)はボロノイ図(ポンプからの道路に沿った距離を表したもの)のほうが説得力をもつこと、副牧師ホワイトヘッドが大きな貢献をしたこと、45歳でスノーがなくなったそのあとにやっと飲料水媒介説が受け入れられたこと、上下水道が整備された1866年以降にはロンドンでコレラの集団発生がなくなったこと、かつて井戸のあった場所のすぐ近くに現在は「ザ・ジョン・スノー」という名前のパブがあることはメモしておきましょう。

ドキュメンタリータッチではあるけれどセンセーショナルではなく、史実に基づいて構成された探偵物語のようでもあります。疫学の祖といわれるスノーがどのようにコレラを追い詰めていったのか、大雑把な話は知っていたけれども充分に楽しめました。都市と疫病という観点もわかりやすく書かれていましたし、矢野真千子さんの訳がよかった。(同じ訳者で「迷惑な進化」「ジョン・ハンター」も読みやすかったのを思い出しました。)そういえばスノーはハンテリアン医学校の出身でした。そして、とにかく面白い本でした。


まだ読んでないディケンズの「荒涼館」が何度も引用されていました。いつか読もう。