壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯

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解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯 ウェンディ・ムーア 
矢野真千子訳 河出書房新社 2007年 2200円

久しぶりに、手放しに面白いといえるノンフィクションを読みました。近代外科医学の先駆者であるジョン・ハンターの奇想天外な人生を描いた作品です。煩雑な専門用語がなく、平易で読みやすい文章です。単なる偉人伝ではなく、奇人の部分も含めてジョン・ハンターという人間と、18世紀の英国の風俗を描いた傑作です。表紙になっている銅版画のために、乗り物の中ではカバーを掛けざるを得ませんでしたが。

麻酔も消毒もない時代に行なわれた18世紀の外科治療は、今から見ればとんでもなく野蛮でした。17世紀にはすでにハーヴェイが血液循環の仕組を明らかにし、機械論的自然観が確立された時代にあっても、医学の実際は非合理的で、医学理論はギリシャヒポクラテスそのままですし、薬の処方は中世の錬金術師の域を出ていません。

そんな時代にあって、文献を鵜呑みにすることなく、自らの頭で考え実証的に治療を進めたハンターの功績は実に偉大です。むだに手足を切断する手術を諌め、パンで作った丸薬(プラシーボ)で対照実験を行い、かえって害となる内服薬を検証しました。従来の根拠のない治療法を改め、実習生たちに自分の頭で考える事を熱心に伝えました。

でも実験と観察を行なうための手段は尋常ではありませんでした。墓泥棒と契約するなど非合法の手段で解剖試料となる死体を確保し、人間ばかりか珍しい動物を手に入れるため大枚をはたいて買い入れたため、外科医として高い地位にあったにも関わらず、死後残されたのは借金と標本ばかりでした。

生涯をかけて収集した標本は一万数千点に及び、その一部は現在のハンテリアン博物館に収蔵されているそうです。珍奇な動物を屋敷でたくさん飼っていたことで「ドリトル先生」のモデルとも言われ、ハンターのロンドンにあった家は「ジキル博士とハイド氏」の家のモデルだったそうです。

驚くべき先見性をもち時代のルールに従わないハンターは、敵も多く死後に残された文書の多くが焼かれてしまったりしています。一方ハンターを敬愛する弟子たちも多く、種痘法を開発したジェンナーとは生涯にわたり文通していました。金持ちたちを治療するときには法外な値段を吹っかけ、貧乏人には無料で施術するという面も持っていました。

18世紀はまだ自然科学の学問領域が未分化の時代でしたが、多数の動物の比較解剖学から、ダーウィンより70年も前に「生命の起源」について言及し、「生命とは何か」を追及しました。鶏卵の観察や動物の奇形から動物の発生のメカニズムを考えていたのです。外科学の先駆者というよりは、生命科学を基礎とした医学の先駆者でした。なぜ、ダーウィンよりも前に考え付いた「生命の起源」が物議を醸さなかったのかは、本書をご覧下さい。