壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

遠い山なみの光

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遠い山なみの光 カズオ・イシグロ
小野寺健 訳 ハヤカワepi文庫 2001年 660円

今は英国で暮らす悦子と、ロンドンから帰ってきたニキという娘の会話と、戦後の長崎で暮らしていたころの悦子の回想を唯一の手がかりに、元の絵柄が分からないジグソーパズルのピースを一つずつ嵌めていきました。

朝鮮戦争のころには長崎で二郎という夫と暮らし、英国で自殺した景子を身籠っていたこと。ニキはイギリス人の夫との間にできた娘だということ。日本では、夫と義父以外に悦子には縁者がいないらしいこと。でもピースとピースの間がいっこうに埋まらなくて、元の絵柄がかすかにしか見えてきません。

そのうちに、佐知子と万里子の母娘という一連のピースは、悦子と景子の一連のピースと同じパターンの絵柄らしいことが分かってきました。それを手がかりにしたら、だいぶ作業がはかどりました。でも長崎に暮らした悦子と英国に暮らす悦子はかなり異なる形のピースです。そして、二人の悦子の間を埋めるピースは、どこにあるのでしょうか。

箱の中にあったすべてのピースをいちおう並べ終えた時、このジグゾーパズルは完全なものではなく、かなりのピースが失われているということが分かりました。失われたピースの中に、なにか重要なものがあるようですが、全体の絵はかろうじて推測できます。

日本の家族を失い、日本人の夫と別れ、娘の景子を連れて渡った英国で、景子を失いイギリス人の夫とも死別して、ニキは自立して旅立とうとしています。悦子が抱く思いは、自責の念や諦念だけではないでしょう。この先一人生きていこうとする静かな覚悟も見えてきます。

読む人によって、見えてくる絵は異なるでしょう。すべての価値観の激変したあの時代に、人がどのように生きたのかを照らす光が、遠い山なみにかすか見えるのかもしれません。でも、イシグロの世界を常に覆う霧は、見え始めた絵をうっすらと滲ませてしまうのです。