壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

脳と視覚 グレゴリーの視覚心理学

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脳と視覚 グレゴリーの視覚心理学 リチャード・L・グレゴリー
近藤 倫明・中溝 幸夫・三浦 佳世 訳 ブレーン出版 2001年 3800円

このごろ遅まきながら、脳とコンピューターの情報処理や人工知能について知りたくなりました。単に「攻殻機動隊」に惹かれたせいですが。この間「ゲーデルエッシャー、バッハあるいは不思議の環」を捨てるという人から貰ってきたのですが、いきなりこんな本を読む気にもならないので、もっと読みやすいものから始めます。

以前、後半の一部だけ読んで、そのままになっていた本です。この本の冒頭から、「視覚は網膜像(カメラのフィルムに写し取られた像)ではないため虚構性を持つ」こと、またこの本の中心主題が、「知覚と、科学における仮説(曖昧さ、歪み、逆説、虚構性)とが類似しているということ」であると述べられ、ひどく興味がそそられます。

教科書的に非常に幅広い分野を扱いながら、「知覚は予測的仮説である」という主題に全編が貫かれています。錯覚を見かけ上分類すると、曖昧さ、歪み、逆説、虚構性の4つにあてはめる事ができる。また錯覚の原因は物理的、生理的、知識的、規則的の4つのクラスに分けられるので、錯視を分類することで、今後の研究の作業仮説を提示しています。

知っている事も、知らなかった事も、明確な言葉で説明されているので、たくさんの知識を得たような気がします。すばらしく面白い本でした。特に最終章の知覚と意識に関する思索はよみごたえありです。大部分は忘れてしまいそうだけれども、さらに忘れた事も忘れてしまえば、たいして残念にも思わないでしょう。面白かった!という感動だけは、きっと覚えていますから。

運動知覚の章で、『移動している車から見ると、月はゆっくりとした速度でわれわれについてくるように見える。時速50キロで走っていれば、時速10キロでついてくるように感じる。つまり月はわれわれよりゆっくりとした速度で移動しているように見えるのに、ずっと見え続ける。』ことをどのように説明するのかに、いまさらながら納得しました。

この月がついてくるという特別な知覚は、視差の問題、幾何学の問題としてしまえば解決できるような気がしていたけれども、そうではないのです。月は非常に遠くにあるので無限大の距離にあるとみなす事ができるから、月に対する視線の角度はずっと変化しない。だから月の下を移動しても月は動かない、つまり位置を変えないはずです。

しかし、知覚的には月は数百メートル上空にあるように見えます。視角が0.5度であるため、ちょうど数百メートル上空にあるオレンジのように感じるのです。しかし実際は月は非常に遠くにあるので、視角が変らないため、うしろに通り過ぎる事はありません。われわれの知覚がこの矛盾を調停する唯一の方法が、月が車と共に移動していると「仮定」することなのだそうです。

幼い頃は、電車の窓から外を見ながら、お月様(またはお日様も)が一緒について来る事を、不思議に思いながら楽しんでいたものです。どこまでもどこまでもついてくる天体に、親しみを感じていました。でも長じて、月がほぼ無限大の距離にあって位置を変えていないのだということ(ついてくるのは、錯覚なのだということ)を知ってから、お月様と一緒に旅する事をやめていました。でもやっぱり月がついて来ると錯覚するのは、とても自然な事と知って、あの楽しみをまた味わえそうです。いつか夜汽車に乗って、暗い窓の外をずっと眺めていたい。