壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

ジェンダーで読む“韓流”文化の現在

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ジェンダーで読む“韓流”文化の現在 城西国際大学ジェンダー女性学研究所
現代書館 2006年 1500円

ある冬ソナサイトでこの本を知りました。図書館の蔵書になかったし、リクエストするのもなんですから、“在庫が僅少です。品切れの場合お取り寄せとなります。”というネットショップの言葉につられて、衝動買いしました。注文の二日後に届いて翌日の夜に読了。B○○K ○FFで買いたかったのですが、地方の小さな町では在庫がとても限られていて、読んでしまった本はよく見かけるのに、読みたい本は見つからないのです。

[BOOKデータベースより]
水田宗子、尾形明子、岡野幸江、姜尚中、田代親世による白熱のシンポジウム。
初恋・記憶・喪失のドラマ「冬のソナタ」から浮かび上がる日韓性差文化、家族、そして社会の変化。
第1部 シンポジウム「ジェンダーで読む"韓流"ブーム—今なぜ『冬のソナタ』か」("物語"としての「冬のソナタ」;「冬のソナタ」の女性像を読み解く;チュンサンに見る韓国の男性像の新しさ;朝鮮半島と日本の五十年 ほか)
第2部 韓流文化の諸相—小説・ドラマ・映画・観光(小説『冬のソナタ』—「ソナタ」の所以、そしてユジンの自己回復;「冬のソナタ」にみる母親像—カン・ミヒを中心に;韓国のドラマと"家族"—「美しい彼女」「PaPa」をめぐって;映画「バンジージャンプする」と異性愛規範 ほか)
だそうです。

こういう本で言うジェンダーの意味がいつもわかりませんが、それはともかくとして、みんな「冬ソナ」が好きということで、十人十色でそれぞれがいろいろな面から「冬ソナ」を読み解いています。冬ソナ関連文献一覧に、関連本が53冊、関連記事が56件も挙がっていて、この辺が“学問”らしいところでしょうが、「冬ソナ」に限らず、作品のすばらしさを伝えるのに、学問という手段はとても不器用で無力です。

姜氏の国土の分断というコンテキストの中で「冬ソナ」を読む話は重く受け止めました。
 
最後に掲載されていたウエルネスツーリズム学科の先生の論文では、世間から揶揄されることのある「冬ソナツアー」がきっちり擁護されています。モンテ・クリスト伯の地下牢、ベーカー街のホームズの下宿、プリンス・エドワード島のグリーン・ゲイブルス(行きたかったなー)など、どれもフィクションの舞台が観光名所になって、世界中から人々が訪れています。フィクションとファクトの境界線を限りなく超越してしまうような趣向が凝らされていて、皆が楽しんでいるというわけで、南怡島がなにも特別なものではないということで、いいそうです。

そういえば、今読んでいる「失われた時を求めて」の舞台である、架空の町「コンブレー」のモデルとなった町「イリエ」は、現在 Illiers-Combray イリエ・コンブレーが,その正式名称となっているそうです。フィクションがファクトを侵食したということ?。

南怡島には行けそうもないので、フリーのGoogle Earthで春川の町を眺めました。結構大きな都市なのですね。衛星画像の解像度もよく、湖の周りの道路に車が走っているのが見えます(といっても静止画像ですから動いていませんが)。どこでバスを降りたのかいろいろ探してしまいました。外島付近は解像度が悪くて何もわかりませんでした。
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ウエルネスツーリズム学科の先生は、「冬のソナタ」を純愛ソープオペラにあっさりカテゴライズしています。たぶんにソフィスティケートされたものではあると思いますが、まあそうかな? でも比較文学の先生の論文では、世界の古典文学と比較して論じているのですが、またそれも無理があるような・・。

「不可能の家の情景は、見通しの立たない二人の未来を暗示している」とか、「喪失と再生という繰り返し現れるテーマ」とか解説されると、最終回のあの再会のあと、また二人が引き離されるのではないかと、心配で心配でしょうがなかったことを思い出します。二人の未来を信じて「冬ソナ」を楽しめるようになったのは、文学的な分析ではなくて、創作サイトのおかげです。また読みに行こうっと。

今日は東京都心で、四月の雪が降ったとか、どうなっているのでしょうか。