壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

悪魔に魅入られた本の城

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悪魔に魅入られた本の城 オリヴィエーロ・ディリベルト著
望月 紀子訳 晶文社 2004年 1900円

「祖先の物語」で出てきた書誌学に興味を惹かれ、図書の分類(日本十進分類法)で02に属する本を探しに市立図書館に行きました。分類番号01、02の書棚は開架書庫の一番隅にあって、人気がなく薄暗くひんやりとした感じがなんとなく好きです。そこで見つけたのがこの本で、愛書・探書・蔵書というシリーズだそうです。ある本はときどき「read me」というメッセージを発して私を呼びます。全く新しい分野の本の扉を開くのは、いくつになっても楽しいものです。

19世紀ドイツの歴史家モムゼンが所有していた、数万冊におよぶ蔵書の中の何冊かが、近年イタリアで相次いで発見されたそうです。それらの本は、モムゼンのもとで二度の火災にあり、さらに彼の死後、遺族によって守られる事もなく散逸し、図書館に寄贈されたものも、いつしか戦争や蔵書整理によって流失しました。図書館は近年スペースや資金確保のため、蔵書を払い下げあるいは売却しますが、貴重なものも不注意で流出したといいます。

100年以上の蔵書のミステリアスな流転が、あっさりと80ページにも満たないノンフィクションにまとめられています。世界中の愛書家と研究者のネットワークによって発見された物語ですから、書き方を変えてもっとセンセーショナルに書けば、この十倍のページ数にもなるでしょう。しかし著者ディリベルトがイタリアの法務大臣在職中に出た本のようで、こんな形になったのでしょうか。

原題La Biblioteca Stregataはライブドア翻訳で英訳するとThe Bewitched Libraryとなります。愛書家bibliophilistというのもまたbewitched(悪魔に魅入られている)に違いありません。本の半分を占める、池田浩士のエッセイ「蔵書という自己疎外」がとても面白かった。蔵書、愛書というものがいったい何なのか考えさせられました。

記憶違いかもしれませんが、昔、子ども向けのTV番組で、フォン・ノイマン(数学者)が、誕生祝?に、お父さんに図書館Libraryを買ってもらったという話を聞いて、ひどくうらやましく思いました。今思えばそれは、ある人の蔵書Libraryをひとまとめに買ったということでしょう。

池田浩士のエッセイの中に、ある愛書家の家人が、彼の死後にはその蔵書のすべてを一冊ずつバラバラに売り払いたいと呟くほど、うんざりしている話が載っていました。たしかに他人の蔵書には価値を見出しにくいものです。そして自分の蔵書にたいする執着から抜け出すのは容易ではありません。

三十年以上も前には、私も、何人かの作家の作品をコンプリートするような形で本を収集していました。子どもの頃に買ったもらった全集も含め、かなりの量の本を実家に残し、さらに知人の倉庫に置かせてもらっていたのですが、建替えや取り壊しの際に、住宅事情から自分で引き取る事がかなわず、つらかったけれど捨てました。

今思い出しても(;_;)ですが、この時以来、紙の本に対する執着がなくなりました。本は大好きですが、その執着は本の内容に関するものです。ですからブログというバーチャル書庫が一番いいのでしょうね。そして図書館に対する依存度がさらに高くなります。図書館にそばに住みたいという話を、本好きの友人にしたところ、マンションの1階に公立図書館が入っている物件を見つけたのでそこに住みたいと言っていました。負けた!