壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

科学哲学の冒険

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科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる 
戸山田和久 NHKブックス 2005年 1120円

著者の擁する科学的実在論は、多少なりとも自然科学をかじったものとしては、すんなりと受け入れることのできる哲学的立場です。素朴な科学的実在論しか理解していない私にとって、科学哲学の本は相対主義や社会構成主義がはばを効かせていて、非常な違和感がありました。まともな?科学方法論の本がないのかと思っていたら、これがそうでした(第一部)。大学一、二年生のための入門書だという事で、わかりやすく楽しめました。たしかに自然科学の方法が世界を、そして宇宙を正しくとらえているかどうかを正当化するのがどんなにむずかしいかということがわかりました。

ソーカルのでっちあげ」事件というポストモダニズム哲学と社会構成主義への批判めいた出来事は、'''「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用 アラン・ソーカル ジャン・ブリクモン
岩波書店 2000年と, サイエンス・ウォーズ 金森 修 東京大学出版会2000年'''の2つの本で、それぞれの立場を代表して論じられているそうです。そのうち読みましょう。

第二部の【まとめ】の覚書
科学的実在論とは、科学とは独立して世界が存在しているという事(独立テーゼ)、その世界を科学によって捉えられるという事(知識テーゼ)の両方を認める立場。
社会構成主義は独立テーゼを拒否する観念論的傾向があり、科学的事実を見出すための科学者の社会的プロセスの介在から、科学的事実そのものが社会的プロセスの産物であるとの立場(飛躍がある)。
反実在論は、知識テーゼを観察不可能な対象についてだけ拒否する立場。マクロな対象については拒否しない。
構成的経験主義は、観察不可能な理論的対象についての科学理論が真理を語っている証拠はないという反実在論の立場から、さらに世界に正確に対応した理論を見出す事が科学の目的ではないと考える。むしろすべての観察可能な真理を導き出すような理論を構成できればいいと考える。

このような反実在主義を論破するのに、奇跡論法(電子が実在しないのなら、科学事実と応用は偶然に収束する奇跡になってしまう)を使うが、悲観的帰納法(成功したかに見えた理論が偽であった事から、現在の理論も正しいとはいえない)で批判される。

観察可能と観察不可能の境界なんて曖昧だという実在論に対し、曖昧でいいのだ(連続的でいい)とする反実在論を一応認めるとして、全くの観察不可能な対象を取り扱うときの、決定不全性をどうすれば良いか。多くの観察結果をすべて説明する理論がなく、一つの理論に決められない。もし現実に決まるとすれば、何か社会的合意があると社会構成主義の付け入る点になる。しかし科学の歴史の中で決定不全に落ちいることはほとんどなかった。

第三部はちょっとすっきりとしないのですが
科学的実在論を擁護するための課題:科学理論とは何かの問い直し、理論選択の合理的基準のメタ正当化。科学的実在論で,科学の内側から,科学が実在に接近しつつあることを保証するのがもっとも難しい。対象に対する実在論と法則に対する実在論がある。現象論的法則(じかに観察できる量の間の法則)と基本法則があり、基本法則に対してのみの反実在論がある。