壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

蕨野行  村田喜代子

蕨野行  村田喜代子

文春文庫  電子書籍

読み終えて呆然とするほどのインパクトがありました。こういうすぐれた作品が電子書籍で読めるようになって、ありがたいことです。姥捨(棄老)伝承を題材にしていますが、倫理的に善悪を問うようなものではありませんでした。方言と古語が混ざった独特の文体なので少し戸惑いましたが、数ページ読むうちにその世界に引き込まれました。姑レンと嫁ヌイの心の声が交互に響き合って、切ない心情が美しい風景と共に描かれています。山の中での老人たちの過酷な暮らしには悲惨と滑稽の両方を感じました。

 

江戸時代なのだろう、貧しい押伏村には、六十歳を越えた老人がワラビ野という山の丘に棄てられるという掟がある。春の初めに、庄屋の姑レンは五人のババ、三人のジジと共に山に入った。破れ小屋に寝起きして、夏の間は、朝になると里におりて野良仕事をする。その一日分の食糧をもらって夕方に山に帰る。

しかし、里も冷夏で農作物は育たない。野良仕事ができなくなり、ババたちは野草や木の実を集め、ジジたちは小動物を罠にかけてたくましく食いつないでいく。ワラビ野で死ぬまで生きていくことが定めであるから、精いっぱい生きようとはしても季節が過ぎていくたびに、歩けなくなる者、目の見えなくなり、呆ける者が一人二人と此の世を去っていく。

 

物語りの語り手であるレンとヌイの二人は、姑が嫁を慈しみ、嫁が姑を信頼して慕っているという理想的な関係に描かれています。だからこそ二人の女が本音を語り合えるようです。女性目線で描かれているので、飢饉のときの口減らしとして山に入る老人ばかりか、間引きされる嬰児、嫁に来たばかりなのに身重になると村から追い出される若い嫁など、弱い者たちの声が充分に聞こえてきます。自ら山に入り、これから生まれ来る者たちへ思いを托すような、最後の幻想的な場面は感動的です。現実世界を超えた終わり方しかなかったのかもしれません。

 

以下蛇足

★『わらびのこう 蕨野行』という題名で2003年に映画化されている。オンラインでは見られないらしい。小説だけで充分かな。

★棄老伝説として有名なのが深沢七郎楢山節考』。読んだ事はあるが、若い頃だったのでほとんど覚えていない。今村昌平監督の映画も見たような気がするが…。

柳田邦夫の『遠野物語』の111項に蓮台野(デンデラ野)という話がある。老人が山で共同生活をし、日中には里で農作業をしていたらしい。

山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。その近傍にこれと相対して必ず蓮台野という地あり。昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るの習ありき。老人はいたずらに死んで了うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊したり。そのために今も山口土淵辺にては朝に野らに出づるをハカダチといい、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり。

★『デンデラ』という映画がある。「楢山節考」の今村昌平監督の息子の作品で、どうもC級という噂がある。いちおう棄老伝説らしい。アマプラで見られるようだが、どうしようか。今の感動が台無しになるような気がする。