壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

文明の生態史観

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文明の生態史観 梅棹忠夫 中公文庫
1950年代に書かれたこの本は、文庫になって版を重ねています。新書版の方が読みやすいので、中公クラシックスの方を読みました。

唯物史観のような一系統の発展でなく、別の視点をもつ生態史観(生態学歴史観)を持つに至った経緯が、平易な文章で表されています。

「生態史観」について、抜粋しておきます。

アフロ・ユーラシア大陸(旧世界)の構造についての見方です。この地方の中央部(アフリカ中央部から中央アジアを通って北東アジア)には巨大な乾燥地帯があり、その中心部は砂漠でその両側には広大なステップがあります。それをはさんで東側と西側に肥沃な農耕地帯があります。乾燥地帯の遊牧民は繰り返し豊穣な農耕地帯へ出撃し、中国、インド、東ヨーロッパ、イスラム諸国は繰り返し砂漠の暴力を受けた(第二地域)。その暴力が及ばなかった地域がユーラシアの東端と西端である、日本と西ヨーロッパであり(第一地域)、生態学的に共通の状況にあって、別個に平行して、近代文明を育てることができたという考え方です。

第一地域において、文明はオートジェニック・サクセッション(自成的遷移)であるが、第二地域ではアロジェニック・サクセッション(他成的遷移)というべきもので、繰り返す侵略が、本来の植生でないものになっていくということで、文明を生態の比喩で捉えています。

おもしろかったのは、「文明の生態史観」に対して、日本の知識人の反応が、それを「一種の日本論」として受け止めてしまうことに、著者が戸惑いを感じている点でした。普遍的な自然科学の理論として捉えず、実践的議論を始めるひとが多いというのです。
ヨーロッパとの類似で日本の優越性をみようとしたり、日本はどうするべきかという実践的な議論を求められたりしたそうです。梅棹さんは、これは、理論であって、なにか”すべき”ものについて述べていないといっています。

比較宗教論への方法論的覚書の章では、宗教への生態学的アプローチとして、伝染病とのアナロジーを提案しています。このアナロジーはとてもおもしろくて、罰当たりな無宗教者の私は、充分に納得してしまいました。(倉橋由美子の「城の中の城」出てきたキリスト教と病気のアナロジーを思い出しました。)単に思想史としての宗教史でなく、文化史、社会史もっと広く文明史としての宗教史です。

病原体と宗教的観念、伝染病の伝播に置ける保菌者と宗教における司祭者、病気の発病と宗教への信仰心の発生、伝染病の蔓延と宗教の発達における社会的要因、また環境条件です。
伝染病(だけに限りませんが)を研究する疫学(epidermiology)の方法論が、宗教を研究する方法でのアナロジーになるのではないか、精神の疫学と考えて良いのではないかというのです。

いまのところ、宗教を病気の一種であるとは考えられないが、宗教と病気はあるいは単なるアナロジーいじょうのつながりを持っているかもしれないといっています。
また宗教史と疫病史の間に何らかの関連があり、流行病の蔓延と、宗教の普及興隆の間に関連があるのではという作業仮説が提示されています。

マクニールの「疫病と世界史」が出版されたのは1976年ですから、それより十年もまえにこんな作業仮説があったのですが、日本では誰も手をだしませんでした。今西錦司もそうですが、京都学派の人は、ものすごくいいアイデアや作業仮説を出すけれど、自分では実証的な地道な研究をしないようでして、実証する弟子がいなければ、そのままになってしまうのですね。

キリスト教も仏教も乾燥地帯で生まれ、それぞれ西方と東方に伝播し、西ヨーロッパと日本にたどり着いたというのです。

梅棹忠夫はもともと生態学出身ですが、文化人類学にシフトしています。「モゴール族探検紀」(岩波新書)を読んだのは高校時代で、その少しあとには、「知的生産の技術」が話題になっていました。その後京大カードなども使ったことがありました。「モゴール族探検紀」は、とてもおもしろかったということ以外、細かいことは何も覚えていません。でも探検紀が気に入って、「パタゴニア探検紀」高木 正孝「洞穴学ことはじめ」吉井良三 という岩波新書の名前を今でも思い出します。

一時期、家事に押しつぶされそうになっていたとき、梅棹忠夫編の「家事整理学のすべて」でとても救われた気がしました。家事というのは自己目的化すると、際限なく手をかけてしまう物なので、いかに手を抜くかを目的とするべきだというようなことでした。どこかにとっておいた本ですが、見当たりませんので、正確には思い出せませんが。