壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

ゲド戦記

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ゲド戦記影との戦い、壊れた指輪、さいはての島へ、帰還、アースシーの風、外伝)
ル・グウィン
清水真砂子 訳 岩波書店

この夏 スタジオジブリが公開するのは、さいはての島を題材にしたものだそうです。
ファンタジー映画ブームの昨今、ル・グウィンは映画化を一切拒んでいたのに、宮崎さんならとOKしたらしいけれど、息子さんはどうなの?ル・グウィンの期待にこたえられるのでしょうか?心配です。

影との戦いをアニメーションにするのはいささか困難でしょう。映像化するのに、さいはての島だったら絵になるかもしれません。いかだ族のすむ南海はどんな風に描かれるのでしょうか。実写になるよりは、アニメの方が許せるが、ル・グウィンの重々しさをどう表現するのかしら。
映画館に見に行くことはないので、二年後くらいかな、いつかTVで放映されるのを見ましょう。

ファンタジーに限らず、かつて文字で読んだ物語が映像化されるのを、残念に思うのはなぜでしょう。
商業ベースですから、時間や予算の関係で不十分な面があるばかりでなく、物語を読みながら頭の中で作り上げた自分の持つ映像と、映画の画面が乖離しているものを見たくないからかも知れません。

ファンタジーやSFの場合、CGが普及していなかった頃は、映画として作られた映像は、頭の中のものより、リアルさにおいてずっと劣っていました。”イメージが壊れるよね”なんて言ってました。
ところが、昨今は、特撮やCGの技術が進み、映像がリアルすぎて、頭の中にあった幾分ぼやけた映像を一気に駆逐してしまうのです。
ハリーポッターのように、始めから映画化を念頭に置いた物語(たぶん)では、もう映画以外のイメージを頭の中に作り上げるのはとてもむずかしい。クイディッチがどんなゲームかは映像の助けなしには想像できませんでした。

ナルニア国物語も、指輪物語も全部映像化されてしまい、今の子供たちは、言語だけから頭の中に映像を紡ぎだす機会を失ってしまいました。視覚からの情報の方が圧倒的に多量であり、コツコツと文字から頭の中の映像(想像)を描き出す作業は手間のかかるものです。言語で人に物を伝えてきた文化はどうなるのでしょうか。

スターウォーズをはじめてみたとき、それまで自分の頭の中でスミスやバローズのレンズマン、火星シリーズを映像化していたもの(それ以上のもの)がスクリーンに現れてびっくりしました。ワープ航法に入る時の星の動きをみて、圧倒されました。これがワープだと思いました。ノベライズされたスターウォーズには何の興味もわきません。

そういえば、小学校中学校のころには、SFを耽読していました。ハヤカワSFマガジン全盛期?の頃です。
SFは science fiction and fantasyという定義があった時代です。

ゲド戦記はやはり子供向きのものではありません。小学生だった、本の虫の娘に読ませたことがありましたが、そのときは理解できなかったようです。成人になってから読んで正解でした。そのすばらしさを充分に堪能できました。
ル・グウィンのSFは他にもたくさんありますが、手に入りにくいようです。ジブリの影響で再版されるといいのですが。