その土地、その時代を鮮やかに切り取った七編の物語。抑制の効いた硬い語りが、切り取られた風景の解像度を驚くばかりに高めています。生後三ヶ月でボートピープルとしてオーストラリアに渡ったベトナム生まれの若い作家だそうです。
第一篇『愛と名誉と憐れみと誇りと同情と犠牲』で語り手(ベトナム出身の作家志望の青年)が、書いたばかりの原稿を父親に処分されてしまいます。友人には「お前なんかベトナムを搾りつくせばいいじゃないか。ところが、よりによって、レスビアンの吸血鬼とか、コロンビアの暗殺犯とか、ヒロシマの孤児とか―痔を患ったニューヨークの画家なんてものを書いている」なんていわれているのですが、いわゆるエスニック文学とは異なるものを目指しているらしいのです。南米、北米、豪州、日本、中近東を巡り、でもやはりベトナムにたどりつきます。
『カルタヘナ』ではコロンビアの十四歳の殺し屋が語り手。とことん追い詰められた状況で輝きを増す少年の強さが印象的です。娘の『エリーゼに会う』のはNYの老画家。過去を償うためとして、天才チェリストとなった娘に会いたくてたまらない彼の孤独と焦燥が描かれています。オーストラリア『ハーフリード湾』に住む少年は病気の母の死を目前にして少年期を脱するようです。『ヒロシマ』の少女の短い夏は、彼女のうわごとのような語りとともにゼロ時間へ向かって進んでいきます。(小川高義さんの訳なので、著者の周到な調査の結果と我々日本人が抱くかすかな違和感の両方がうかがえます。)『テヘラン・コーリング』とはサラの親友パーヴィンがイランに向けて始めた政治的なラジオ番組。サラは傷心を癒しにテヘランに遊びにやってきて、予想外の状況を目にします。 二百人もの難民でひしめき合う『ボート』は沖へ向かい、家族と別れて一人乗船した16歳の少女マイは生と死の境で12日を過ごします。
やはり最後の『ボート』がもっとも印象的ですが、どれもわかりやすくて、でも感傷的ではないのでとっても好みでした。♪