壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

江戸切絵図貼交屏風 辻邦生

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戸切絵図貼交屏風 辻邦生
文藝春秋 1992年 1600円

元旗本の絵師歌川貞芳が美人画の像主(モデル)に選んだ女たちは皆、どこか翳りがある武家の出だった。女たちの内に秘めた想いを手繰り寄せるうちに、幕藩体制の矛盾が生み出す藩の内部抗争の犠牲となった男女の哀しい物語に出会う。美を追い求める絵師貞芳は自然と事件の真実を見抜き、さらに友人の旗本赤木半蔵、八丁堀与力の秋山冶右衛門の登場によって、捕物帖風の物語が展開される九編の連作短編集。

以前に読んだ辻邦生作品とはかなり趣が異なるので最初戸惑いました。語りが硬く、事件の説明も判り難いように感じたのですが、中盤当たりから断然良くなりました。歌川貞芳が描く絵が事件の謎を写し取るのか、はたまた描かれた絵の中に謎が隠されているのか、端正な文章によって哀しい物語と懐かしいような江戸情緒が浮かび上がってきました。あとがきにある<物語の面白さ>を小説に取り戻したいという著者の思いは達せられたようです。

その一 山王花下美人図(さんのうかかびじんず)
その二 美南見高楼図前後(みなみこうろうずぜんご)
その三 湯島妻恋坂心中異聞(ゆしまつまこいざかしんじゅういぶん)
その四 無量寺門前双蝶図縁起(むりょうじもんぜんそうちょうずえんぎ)
その五 根津権現弦月図由来(ねずごんげんげんげつずゆらい)
その六 向島百花譜転生縁起(むこうじまひゃっかふてんせいえんぎ)
その七 墨堤幻花夫婦屏風(ぼくていげんかめおとびょうぶ)
その八 神仙三圍初午扇(しんせんみめぐりはつうまおうぎ)
その九 武州浮城美人図下絵(ぶしゅううきじろびじんずしたえ)
藍いろに暮れてゆく江戸に―「あとがき」にかえて

印象深かったのは、浪人である父の虫籠を売り歩く少年が事件の発端となる『根津権現弦月図由来』。歌川貞芳が花火の夜空を描くために、ヒロシゲブルー(インディゴ)とは異なる深青色(プルシアンブルー)を工夫している『墨堤幻花夫婦屏風』は好みの題材で、ミステリーとしても面白かったと思います。『武州浮城美人図下絵』はとてもスケールの大きな謎でした。

辻邦生氏の新刊を追いかけなくなってから、もう三十年も経ちました。確かめてみると、1980年以前の作品はあらかた読んだのに、それ以降はまったく読んでいません。この『江戸切絵図貼交屏風』も読みたいと思っているうちに氏が亡くなりました。昔読んだ作品はただ「好きだった」という印象しか記憶になくて、蔵書もほとんど散逸しています。図書館にある全集をすこしずつ読もうかと思い立ちましたが、果たせるかどうか・・・。
第一巻には、昔大好きだった「回廊にて」「夏の砦」「安土往還記」が入っていますが、今読んでみてがっかりしたらどうしよう・・・と怖くもあります。