壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

石油! アプトン・シンクレア

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石油! アプトン・シンクレア
高津正道/ポール・ケート訳 平凡社 2008年 2400円

 

なぜ今頃、アプトン・シンクレアの新刊が?・・・・映画の原作だからでした。シンクレアは昭和二十年代のはやりだったそうで、子どものころ、家の本棚に「世界の終わり」や「地獄への道」のラニーバットシリーズがあって読んでみたいと思っていましたが、いつの間にか本は捨てられていました。以前に、行きつけの図書館で探しましたが、アプトン・シンクレアの著書は一冊もありませんでした。

 

映画になると人気が高くなって借りられないこともあるけれど、こんな風に絶対に復刻しそうもないない本が出ることもあります。昭和五年に翻訳されたものが、漢字と仮名使いを新しくして復刻されています。小さな字で二段組700ページもあって、思っていたよりはずっと面白かったけれど、それにしても長かった。映画と原作はかなり違うらしく、原作は1927年に書かれたものだから、ネタバレしても許されるかしらね。

 

二十世紀の初め欧州情勢がきな臭くなったころ、米国は急激に工業化、資本主義化し始めました。油田経営者であるJ.アーノルド・ロスとその息子バニーが、油田採掘の候補地を目指し、乾燥地帯を自動車で延々と走る場面から始まります。バニーは13歳ですが、お父さんの仕事を学ぶため学校には通っていません。バニーとお父さんは、生涯仲の良い関係を保ち続けました。

 

南カリフォルニアのプロスペクト山に未曾有の油田が見つかり、近隣は大騒ぎです。何万人もの見物客がつめかけ、土地の所有者と不動産仲介人はてんやわんやです。バニーはそこでポール・ワトキンスという少年と出会いました。家出して自立を目指すポールに強く惹かれたバニーは、ワトキンス一家を何とか手助けしたいと思いました。

 

ワトキンス一家が所有する山の牧畜場で地震にあい、バニーは地表に顔を出した油脈を見つけました。石油に対する人々の狂騒を知っているバニーは、お父さんの言いつけ通りそのことを秘密にしました。お父さんは、誰にも気付かれないように近隣の土地を手に入れたのでした。

 

ワトキンス一家は奇妙な宗教に取り付かれていて、ポールの弟イーライは第三啓示教会と称するカルト宗教を主宰するようになりました。近くで大油田会社が掘削を始めることをきっかけにして、お父さんとバニーは偶然を装って牧畜場で油井を掘り始めました。しかし、バニーはワトキンス一家とポールに対する後ろめたい気持ちを捨て去ることはできませんでした。

 

バニーは学校に通い始め、お父さんは、土地の役人に賄賂を使って道路を整備させ、次々と油井を増やし大儲けしました。ポールは大工としてお父さんに雇われました。当時のアメリカは労働運動が盛んで、石油業界にもストライキの波が押し寄せます。ポールは労働者の指導的存在となり、バニーも社会主義的思想に感化されていきます。

 

第一次大戦に米国が参戦し、ポールはシベリアに出征しそれをきっかけにボリシェヴィキに傾倒して行きました。バニーは大学で社会運動を志す学生と出会い、心ならずもお父さんの生き方を否定する方向へ向かいました。しかしまた金持ち階級との付き合いもあり、活動写真のスター女優と恋仲になり、「石油王子」として新聞にも騒がれ、一時的に社会運動から離れます。

 

戦争が終わり、不景気になった世の中に不満をもったお父さんたち実業家は、進歩主義的なウィルソンの民主党を嫌い、大金を使って、共和党のハーディングを大統領選に押します。さらに、海軍の持つ油田を民間に払い下げる際に、不法な賄賂や融資の収受があったことで大スキャンダルになりました。お父さんは司直の手から逃れるため、カナダからヨーロッパに逃亡し、体調の良くないお父さんの面倒を見るためにバニーも同行しました。

 

ヨーロッパで再び、社会運動に目覚めたバニー。一方お父さんは病身のためか、神秘主義に傾倒し女降霊師と結婚します。お父さんはバニーと姉のバーディーに財産を残すという遺言書を残すのですが、女降霊師に騙され全財産を失って亡くなりました。一方お父さんの共同経営者も預かっていた資産を隠匿し、バニーはほとんど文無しになりました。

 

バニーは米国に戻り、大学時代の同級生の、社会活動家のユダヤ人女性と一緒になって、遺産が手に入れば二人の理想とする共同体を築こうという夢をもっています。しかし、ポールは赤狩りの犠牲となって命を落としました。共和党のクーリッジは大統領選に圧勝し、イーライの祈りの声はラジオを通じて全カリフォルニアに届いています。ポールを慕い続けた妹ルースは油井に身を投げました。

今でも、柵に囲まれて、周囲釣百フィートに一つも櫓のない所に、これらの三つの墓が見える。他日これらの醜い櫓はみな消え失せて、柵も墓も失くなってしまうであろう。そして、少女達が陽に焼けた素足でこの辺の山々を遊び廻ることであろう。もしも人類が、ルース・ワトキンズと、彼女の兄と-そうだバニーのお父さんをも殺したあの黒い残忍な悪魔、地球上を徘徊し、男女の身体を不具にし、働かずに得た富と、労働を奴隷化し、搾取する機会とを翳して、国々を破滅に向かって誘惑しつつある一つの極悪の力を、鎖で繋ぐ何かの方法を見出し得れば、これらの少女達は、より幸福な女となるであろう。  (完)

油田の発見で沸き立つ西部の町、油井から自噴する黒い油、油田火災など、特に初めの部分は勢いのある場面が多くて面白かった。バニーの成長物語でもあるのですが、人物像がわりと平板なので後半はかなり退屈でした。

バニーの目を通して描かれるアメリカ社会(労働運動や階級闘争、資本と政治の癒着、赤狩り、ジャーナリズム、黎明期のハリウッド、石油という大きな利権に群がる人々、カルト宗教の台頭)を眺めると、現代アメリカの原点がここにある!という印象でした。一世紀経っても、社会の仕組みが変わらないのは驚きですね。まさに今日、私たちは黒い悪魔(石油)に翻弄されています。

アプトン・シンクレアの、ピューリタン的な社会主義思想の体現として書かれた小説ですが、当時マックレイカー(muckraker=暴露屋)と呼ばれた不正を暴くジャーナリストの流れにあるといわれます。スラブ系移民の目を通して書いた食肉業界の実態は世論を動かし、ルーズヴェルト大統領による食品薬品管理法、食肉検査法の制定を促進したといわれる小説が「ジャングル」です。その印税でシンクレアは実際にコミューンを建設したこともあるとか。

「ジャングル」を読んでみたいと探しましたが、遠くの県立図書館の本は貸出禁止のレア物でした。