ヒットラー政権末期、東プロセインの港から一万人を超える乗客をのせて、客船ヴィルヘルム・グストロフ号が出航しました。背後に迫るソ連軍から逃れようとする民間人が主であったといわれています。ソ連の魚雷に撃沈され極寒のバルト海に投げ出された数千人の子どもたち。最終的に犠牲者は九千人を超え海運史上最大の惨事となりながら、人々の記憶から抹殺されました。
戦時海難というのはとても微妙な問題をはらんでいます。『船自体が複雑な性格をおびていた。一方では部隊移送であり、他方では避難民船および病院船だった。灰色にカモフラージュされた船体そのまま、はっきりしない目的を持っていた。(p125)』一万人近い犠牲者と大半が子どもや女性であったことでソ連にも都合が悪いし、冷戦時代にあって表ざたにしにくいものでした。ドイツの被害を言い立てることがナチズムへの擁護にも取られかねないこともあるのでしょう。
この事件を語るのは、沈没寸前のヴィルヘルム・グストロフ号で生まれた「私」です。さらに、その語りの背後に「誰かさん」として著者の視線が見え隠れするのです。事件の全貌を語る「私」は、事実を知らないわけですから、蟹が横歩きをするように、核心にまっすぐ進むことができません。船に乗船して「私」を出産した母親は、断片的にしか事件を語ることができない過激な性格です。俯瞰的に眺めることのできない事件に感じる読者のもどかしさは、事件そのものの特徴でもあります。
右にも左にもなれないジャーナリストである「私」は、あるときインターネットでこの事件を扱うサイトを発見します。それは息子コニーが主宰しているらしいのです。ネットを介して語られる事件の全貌には、ネオナチといった極右の影響が見て取られました。ヴィルヘルム・グストロフ号の名前は、スイスで暗殺されたナチス幹部の名前に由来しています。暗殺者がユダヤ人であったことから、かつて反ユダヤのプロパガンダとして利用されていました。それを現代によみがえらせようとする勢力があるのか。
歴史的事件の事実があたかもフィクションであるかのように、反対に息子コニーの事件がノンフィクションであるかのように、虚と実が反転して見えてきます。息子コニーのネット上での暴走は一段とひどくなり、とうとうある事件を起こします。ネット上でコニーの論争相手だった少年の奇妙な思い込み、息子たちの世代を理解できずにとまどう親たち。半世紀以上前の事件の影を、現代の青少年の問題へと落とし込むあたりの巧みさに引き込まれてしまいました。