壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

家族の昭和 関川夏央

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家族の昭和 関川夏央
新潮社 2008年 1500円

関川さんの昭和は私自身の昭和とほぼ重なります。「砂のように眠る」で読んだ昭和は、懐かしくも身につまされるものでした。-むかし「戦後」という時代があった-という副題のように、戦後の昭和を扱い、ベストセラーにまつわるシーンを題材にした手法でしたが、今回の切り口は文芸作品や映像作品に表れた「家族」。戦前からの昭和を取り上げています。

i「戦前」の夜-----向田邦子『父の詫び状』と吉野源三郎君たちはどう生きるか
ii 女性シングルの昭和戦後-----幸田文『流れる』ほか
iii 退屈と「回想」-----鎌田敏夫金曜日の妻たちへ

父と娘という観点から詳しく読み解かれた『父の詫び状』や『流れる』だけでなく、向田邦子幸田文の評伝、ドラマや映画の話も楽しく読みました。向田邦子の『あ・うん』の水田仙吉の家と、幸田文『流れる』に出てくる蔦の家は、想像上の間取りもこの本に載っていましたので、「家族」という切り口よりは、家族のいる「茶の間」という切り口の方が私にとってはピンと来ました。

金曜日の妻たちへ』もずいぶんと丁寧な解説でいろいろ思い出しましたね。この場合は茶の間というよりはリビングでしょうが、もっと適切なのは中庭のパティオですね。当時住んでいた3Kのアパート(3Kは間取り。キタナイ、キツイ、クルシイでもありましたが)で、憧れの眼差しでドラマを見てました。

家族の落日と家族離散を描き続けたという小津安二郎の映画については、映画をほとんど見たことがないにもかかわらず、とても共感を覚えました。いつか見てみたいものです。

著者のあとがきに、『文芸表現を「歴史」として読み解きたいという希望が、かねてからある。』とあります。『社会の三十年前は「歴史化」されるべきだ。なのに、なかなかそうならない。とくに日本社会でそれをはばむのは、個人の感傷的「回想」の集合である。』と関川さんの言うとおり、ついつい「懐かしい~」という気持ちだけが先行してしまいました。

表紙の茶の間はセットかと思ったら、「昭和のくらし博物館」大田区久が原)の内部だそうです。この風景もまた懐かしい。