壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

ケプラーの憂鬱

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ケプラーの憂鬱 ジョン・バンヴィル
高橋和久/小熊玲子訳 工作舎 1991年 2500円

17世紀の天才天文学者ヨハネス・ケプラーの伝記的小説のようなのですが、バンヴィルは自在に時間を遡行して読者を惑わせます。ひねりにひねった叙述形式が訳者によるあとがきの中で解説されていますが、読者としては、そこまで凝らなくてもいいのにと思います。

16世紀の自然哲学者を扱った小説、ユルスナール「黒の過程」佐藤亜紀「鏡の影」より少し後の時代、宗教と融合した自然哲学は未だ分化していない時代にあって、コペルニクスの天動説に賛同したケプラーは「宇宙は不変の法則に支配されている秩序ある構造物」である事を幾何学によって証明しようという使命というか妄想にとりつかれます。

そして、六つの惑星の間に五種の正多面体が内接/外接しているという(表紙の図)トンデモを考え付いてしまったのでした。でもケプラーはこれだけでは満足しませんでした。何年もかかって、ティコ・ブラーエの観測結果から計算した火星の軌道は、真円でなく楕円であることに気づきました。さらに、のちにニュートンの発見につながる第二、第三の法則を導きだしたのでした。まさに妄想から生み出された真理です。妄想や混沌はいろいろなものを生み出すでしょうが、ほんの少しの真実を含んでいることもあるのです。その真実を見分けたケプラーは天才というべきでしょう。

そんな天才も日常生活では、病弱で不器用で激しやすくて、周囲に溶け込めず憂鬱な日々を送っています。宗教的迫害から逃れるため、家族を養う日々の糧を稼ぐため、政治的混乱の絶えない中欧を迷走して旅先で力尽きてしまう姿が哀れに見えるのですが、ケプラー自身は一種の幸福感の中で亡くなったようでした。バンヴィルの筆運びには、カリカチュアライズされた学者先生を揶揄するようなところは無く、読み終わった直後は事実に即してケプラーという人間を描いているだけのようにも思えたのです。しかし考えているうちにその人物像はつかみ所がないような気がしてきましたが、すでに図書館に返却してしまい、確かめようもありません。

題材となる場所と時代からみて、佐藤亜紀さんは「バーチウッド」ではなくて、この小説を訳したかったのではないかと思えるのです。高橋さんの訳文は読みやすかったのですが、佐藤さんが訳したものも読んでみたいですね。