壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

砂の本

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砂の本 ホルヘ ルイス ボルヘス 
篠田一士 訳 集英社 1980年 1000円

図書館でやっとこの本を見つけました。ラテンアメリカ文学の沼に一歩だけ踏み出したつもりが、ボルヘスという底なし沼に引きずり込まれてしまいました。とはいうもののまだ四冊目です。砂の本は、1995年に文庫本化されていて、そちらの方は「砂の本」と「汚辱の世界史」が一緒になっているようで、少し損をした気分です。

短編集の最初「他者」で、ボルヘスは若い時の自分自身に出会う。これまでの生涯のことを何か伝えようとするが、対話はうまく進まない。"助言も、議論も無用で、私という者になることが、彼の避けがたい宿命だった。「そうだよ、君も私の年になれば、ほとんど目が見えなくなっているはずだ・・」"
盲目を宿命付けられた事か、輪廻転生を示しているのか。

表題の「砂の本」は、開くたびにページの順序が変り、ページ数も無限に増えていく本。砂の粒のような点からできた直線と平面のように、とらえどころのない本です。夢の中で出会った、読みたいのにどうしても読めない本のようです。盲目のボルヘスの、焦燥感の様でもあります。

しかしまた、私たちが現在経験しているウェッブページのように、日々増え続けページ同士がリンクして、不動の順序がないテキストにも似ています。ウェッブページは、履歴を消してしまうと検索エンジンなしにはそのページを探す事がむずかしく、迷路のように作られたハイパーテキストもよく見かけます。バベルの図書館のイメージにつながっていきます。

本を愛してやまないボルヘスには「神曲講義」のほかに、「イギリス文学講義」、「北アメリカ文学講義」が翻訳されているようです。これらの本はまたいつかそのうちということにします。ボルヘスばかり読むと思考がbookishに変調してしまいます。