壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

よこまち余話 木内昇

よこまち余話 木内昇

中公文庫  電子書籍

明治なのか大正なのか,いつの時代なのか,神社と御屋敷に挟まれた短い路地にある長屋にひっそりと住む人たちがいる。坂の多い場所なので東京の何処かかもしれない。齣江はお針子を生業としている。向かいの長屋に住んでいるのはトメ,口の悪い婆さんだが齣江と親しいらしい。魚屋を営んでいるおかみさんには,浩一と浩三という息子がいる。彼らもまた齣江を慕っている。

季節はそっと移り変わるが,長屋の人々の暮らしはつつましく続いていく。でも,ときどき不思議なことが起きる。ぼんやりしていると気が付かないほどの,かすかなゆらぎがある。あの世と此の世,来し方と行く末が曖昧になって,時間の流れが円環になるようだ。

季節のうつろいが美しく描写されていて,引き込まれます。人情が穏やかに表現され「いい話」にはもって行かない所も好みです。そして時間の流れの謎が解けそうで解けない所も,この物語の魅力になっているようです。あえて解きたくないと思います。このままそっと味わいたい物語でした。

著者の作品『茗荷谷の猫』『占(うら)』もよかったけれど,本作はそれにも増して素晴らしい。こういう物語のあらすじは書きたくない,というか,書かなくても忘れない。いや,すこし忘れてから,もう一度読みたい。