壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

私の名前はルーシー・バートン  エリザベス・ストラウト

私の名前はルーシー・バートン エリザベス・ストラウト

小川高義 訳 早川書房 電子書籍

普通の暮らしの中の断片的なエピソードを拾い上げるようにして,オリーヴ・キタリッジの長い人生を浮かび上がらせた『オリーヴ・キタリッジの生活』『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』から考えれば,この小説の奇妙さにはさほど驚かない。

何年か前に長く入院していたルーシーのもとに疎遠だった母が見舞いにやってきた五日間の出来事がとりとめもなく語られる中で,母親との会話から貧困の中にいたルーシーの子供時代の生活が思い出される。さらに,退院後何年もたって作家として成功しているルーシーの視点もある。入院という(現在の)出来事を中心に,過去と未来の短いエピソードがランダムに現れる。

まあ,私たちの記憶なんてそれぞれのエピソードが時系列に並んでいるわけではないから,不思議はない。昔のことをふっと思い出すことがあっても,それはひどく断片的でしかない。

ルーシーと母親の会話も全部が理解できるわけでもない。よその家族同士の会話を聞いていると,何を言っているのかよくわからなくて,聞き耳を立ててしまう。「詳しく聞かせて」なんて言えないけど,ルーシーと母親との距離感は確実に伝わってくる。

読み終わって,とらえどころのない何かを感じる。これは何なんだ? 続編『何があってもおかしくない』は文庫本がでたら読もう。