壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

羊は安らかに草を食み  宇佐美まこと

羊は安らかに草を食み  宇佐美まこと

祥伝社   図書館本

f:id:retrospectively:20210824003628j:plain

二十年来の友人だった益恵が認知症になり、俳句仲間の八十歳のアイと七十七歳の富士子は三人で最後の旅に出た。いつも穏やかで元気だった益恵が認知症になって時々見せる心の重荷を感じて,夫の三紀夫は「益恵の心のつかえをとってやりたい」と,アイと富士子に旅の同行を依頼したのだ。益恵の俳句が取り上げられ,その解題のように益恵の過去がまずは読者だけが知っている形で時間に順行して語られる。(益恵はもう記憶していないのだから。)そして旅に同行したアイと富士子が益恵の昔の友人知人から聞いた話として,(そして益恵の唐突な記憶で)益恵の生活が時間に逆行して明らかになっていく。老齢のアイと富士子だっていろいろ抱えているものがあり,それぞれの人生を見つめ直す旅でもあった。時間の順行と逆行の二つの流れがどこで合流するのかとドキドキした。巧みな筋運びの先に最後にこれほどにインパクトのある痛快なたくらみを仕掛けた著者に喝采です。重くて苦しいテーマの後味を爽快なものに変えた,これぞ小説の醍醐味ではないでしょうか。

  以下はあらすじ 肝心なところは伏せたつもりです

 背を向けるむくろを照らす赫き夕陽 第一章(旅の始まり)でいきなり十歳の益恵には過酷すぎる場面ですぐに明らかにされた。この先にこれ以上の何があるのというか。

第二章(湖のほとりで)で,前夫と暮らした大津の旅で幼い娘を亡くしたあとの益恵の暮らしに出会う。前夫の忠一の戦争体験を語る戦友の天野の話をから,当時の益恵夫婦がどんな心の傷を抱えていたのかが垣間見られる。

馬を駆る少年秋の風に溶け 天涯孤独となった益恵の満州での逃避行が挟み込まれる。ソ連の収容所で同じ歳の孤児の「カヨちゃん」,そしてコサックの少年と出会う。

第三章(天守閣の下で)では,益恵が二十六歳から四十一歳の十五年間を暮らした松山の暮らしをたどる。幼い娘明子を亡くした益恵の悲しみがいっそう明らかになる。 

凍て土ゆくわれに友あり白き月 コサックの少年の死のあと助けを失ったハルピンの町で孤児の佳代と益恵はやっとのことで生き延びた。

第四章(島の教会で)では一時住んでいた佐世保の町を経て國先島へ向かい,そこで宇都宮佳代のあまりにも意外な身元を知る。

生きて乗る船は祖国へ揚雲雀 貨車でハルピンを離れた益恵と佳代だったが途中から二人だけで過酷な旅をつづけた。新京からさらに奉天へ,懸命に生き延び人の温かさも知って船に乗ることができた。 第五章(旅の終わり)では,國先島で佳代と再会した益恵は子供時代に戻っていた。島での幸せな子供時代を経て二人は佐世保でそれぞれに世帯を持ったのだ。佳代と益恵が長い間会わずにいた驚くべき理由は最後で明かされたが,さらに本当の最後はさらに驚くべき展開だった。

 以下はこの本を読んだ後のごく個人的な感想です。

私の母は六十の手習いで俳句をはじめ,ちょうど益恵と同じ年頃にだんだん俳句が作れなくなり,年相応かとも思ったのだが,急激に認知機能が衰えて九十二歳で亡くなった。母には十歳以上若い俳句仲間のKさんという友人がいて,母の認知症が進行してからもよく家に遊びに来てくれた。その時だけ母はとてもうれしそうな顔をしてKさんのことを忘れることがなかった。私はまだ介護未満だが一人暮らしの身には,アイや富士子のことが身につまされる。そんな状況に親近感を覚えて読み進めていったのだ。

長野県出身の母は若いころに満州に行ったことがあると話していたのを思い出した。時代から考えて高等女学校を卒業してすぐの17歳くらいの頃だとおもう。祖父(母の父)が満州に事業を拡大して,母とその兄(私の叔父)を連れて行ったらしい。母は満州の状況が悪くなる前に一人で朝鮮の港から船に乗って日本に帰ってきたと話していた。祖父と叔父は終戦後に虱だらけになって日本に帰ってきたと聞いたが詳しいことはよくわからない。父方の祖母は戦時中の東京での空襲の話をよくしてくれた。父は終戦のほんの少し前に召集されて国内で復員したが,その時の様子を終生黙して語ることがなかった。肉親だからかえって聞けない話もあるのだ。このころの世代の人たちは多かれ少なかれ戦争の傷を抱えている。『これだけは語り残す戦争体験―私たちの遺書』を以前に読んだ事があった。今夏に再放送された『大地の子』もまた少し見た。戦地や戦時中の話は,戦争を知らない世代にはどれも似通った話に思えることもあるのだが,戦争を知らない世代だけになる時代に向けて,戦争の事実を何度も何度もいろいろな形で語り直し,語り継いでいく必要があるのだと思う。さらに体験談では語ることのできない事実を小説は語ることができる。フィクションが真実を語らないという事はないのだから。

……などと,戦争という重たい課題を課せられてシュンとなってしまったが,この小説の大団円(?)で一気に気分が上がってしまった。ばあちゃんたち強い! いつか私も最後の旅に出よう,そんな冒険はしないし,人生に何の秘密もないけど,それでもいいじゃない?