壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

消失の惑星 ジュリア・フィリップス

消失の惑星《ほし》 ジュリア・フィリップス

井上里訳   早川書房   図書館本

f:id:retrospectively:20210729214344j:plain

8歳と11歳の幼い姉妹(ソフィアとアリョーナ)が黒い車で男に連れ去られた章から始まる。主な舞台はカムチャッカ半島の南部の海岸線に位置する都市ペテロパヴロフスク・カムチャッキーと内陸部のエッソ。スラブ系の住民と先住民族がいてソ連崩壊後の変わりゆく社会という複雑な背景がある。そこに暮らす女性たちを主人公にした12章が,まるで連作短編のように一年をかけて一か月ずつ進行していく。幼い姉妹の失踪事件は彼女たちの物語の中に見え隠れしているけれど,それが主眼にはなっていない。彼女たちそれぞれが抱える喪失,痛み,戸惑い,喜び,秘密などを丁寧に描きながら,それぞれの物語が少しずつ重なり合って到達する最後がまた素晴らしい。

 カムチャッカ半島の地図と登場人物の簡単な紹介が巻頭にあって,読書の助けになりました。なにしろ,名前が覚えられないので…。同じ人物がいくつかの章に繰り返し出てくるので注意深くよむと面白さが倍増します。舞台は都市部のペテロパヴロフスクと先住民たちの多い内陸部のエッソで,重なり合うコミュニティの中の物語です。北米の小さな町を題材にした「オリーヴ・キタリッジ」の連作を連想しましたが,あれよりずっと練られて仕掛けられた構成になっています。女性の人生の普遍的な感慨を描くアリス・マンローの小説をまた連想しますが,あそこまでの辛辣さはありません。でも感情におぼれすぎない冷静な表現が,私たち読者自身の物語でもあると感じさせるのでしょう。

 

図書館の本なので,以下はネタバレの覚書です。

 

同じ人物(特に犯人)が別の物語にチラチラ登場しているようなのですが,だいぶ忘れています。紙の本だと読み返しても全部は探せないかもしれません。これが電子書籍なら,「一斉検索できるのに」とも思いますが,それではあまりに味気ないかも。

 

八月 仕事で母親が不在のため,11歳のアリョーナは8歳の妹ソフィアを連れて海岸で遊んでいた。足を怪我したという若い男を手伝って車に連れて行ったところを…。 この犯人,手口が周到で慣れている。

九月 13歳のオーリャは,親友のディアナとクラスメートが一緒にいるのをSNSで見つけ,電話したがディアナにつながらない。ディアナの母親ワレンチナ・ニコラエヴナから「うちの子とつきあうな」と言われた。一人,海岸で美しい景色を眺めて一歩大人になっていくオーリャ。

十月 税関で働くカーチャの恋人はイケメンのマックス。マックスはキャンプに行くのにテントを忘れるくらい,いつもダメダメ。 マックスといっしょだと自分を出せないカーチャだが,やはり別れられない。

十一月 ディアナの母親ワレンチナ・ニコラエヴナは41歳。先住民に対する差別的な考えを隠そうともしない。胸にできた悪性の水疱をとる手術室では屈辱的な思いをしたのに,彼女の本質は変化しない。

十二月 エッソで育ったクシューシャは大学4年生。従妹のアリーサ(17歳)に誘われ大学の民俗舞踊団に入る。クシューシャにはエッソに幼馴染で白人の恋人ルースランがいて,いつも彼に監視されているような思いを持っている。舞踊団で知り合ったチャンダーといっしょだと自分自身でいられる。

十二月三十一日 ラダは,年越しパーティーで,久しぶりにペテロパヴロフスクに帰ってきた親友だったマーシャに出会う。サンクトペテルブルグ外資系の会社でプログラマーをしているマーシャはレズビアンであることを隠さない。

一月 海洋研究所に勤めるナターシャは2人の子供がいて,夫は不在がち。新年の休みにエッソから遊びに来た母親のアーラと弟のデニスと一緒にいるのは,七年前に失踪したリリヤのこともあって気づまりだった。ママ友になったアンフィーサの家でのお茶会が息抜きだったが…。家族の事を改めてそういわれると…。 

二月 50代のレヴミーラはアーラの又従妹。ごく若いころに夫を事故で亡くして,その後に再婚した優しい夫を再び事故で亡くした。そのレヴミーラの喪失感が痛いほど伝わってくる。

三月 ナージャは娘のミラを連れて,エッソのチェガの元を去り北部のパラナの実家に身を寄せ,今後の身の振り方に迷う。チェガはクシューシャの兄で新聞社を辞めてフリーになっていた。

四月 ゾーヤは生後半年の乳飲み子をかかえて家にいる。自由に買い物に行くこともままならない。ベランダから,遠い国からの移民労働者をながめて,妄想に浸る。ゾーヤの夫は巡査長のコーリャ・ダニエロヴィッチ

五月 火山研究所の研究員であるオクサナは離婚後に飼い始めた愛犬に夢中。同僚のダメダメなマックスに自宅の鍵をあずけたばかりに,愛犬が行方不明。初めて深い喪失感を知る。オクサナは幼い姉妹が連れ去られた現場の唯一の目撃者だった。

六月 行方不明の幼い姉妹アリョーナとソフィアの母親マリーナの悲嘆は事件後一年たっても変わらない。友人夫婦にエッソの先住民のイベントに誘われ,仕事を兼ねて出かけたところで,先住民文化センターを運営しているアーラ(失踪したリリヤの母)に出会う。リリヤの捜索に関して民族差別があるというアーラ。カメラマンとして働いているチェガが,マリーナに犯人の可能性がある人物を知っていると言う。マリーナ,チェガ,ナターシャ,友人夫婦とそこに向かうと…。手に汗握る展開です。

七月 閉じ込められた部屋の中でソフィアに話しかける少女。隣の部屋にはリリヤがいるという。

 

「十二月三十一日」年越しパーティーで小柄なラダに接近したイエゴール,「三月」でチェガの話に出てきたイエゴール・グサコフはやはり小柄なリリヤに言い寄っていた。他にも見落としがあるかもしれない。ミステリー的な要素も十分にある。