壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

いま見てはいけない ダフネ・デュ・モーリア

いま見てはいけない ダフネ・デュ・モーリア

創元推理文庫 電子書籍

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最近,デュ・モーリアの新訳「原野の館」がでるようで,思い出して五年前に読んだ短編集「いま見てはいけない」を再読しました。内容をかなり忘れていて,もう一度楽しみました。

デュ・モーリアの短編は「」「破局」に続いて三冊目でした(「人形」は積読中)。「レベッカ」や「レイチェル」の長編はもちろん面白いですが,バラエティー豊かな短編もおすすめです。どれも映像を喚起させる語り口で,映画の原作としても魅力的なものだと思ったら,ありました!「いま見てはいけない」が「赤い影」という映画になっているそうです。

5つの短編はどれも心理サスペンス。旅行先などの非日常の場面で不安と焦燥をジリジリと煽られ,現実と幻想の中を結末へと向かいます。場面や設定が周到に練られていて飽きさせません。

せっかく読み直したのにまた忘れてしまいそうでメモを作っていたら,だらだら長いあらすじになってしまいました。心理描写が明示的に描かれていない部分が多くて,読んだ後についいろいろ語りたくなってしまうタイプの短編です。

以下

ネタバレなので,未読の人は「いま見てはいけない!」(笑)↓

 

「いま見てはいけない」Don’t Look Now

幼い娘を病で失った英国人夫婦は,休暇で訪れたヴェネチアで双子の老姉妹と出会う。妻のローラは老姉妹の霊感を信じて娘クリスティンの存在を感じ,幸せそうだ。夫のジョンは妻の様子に危うさを覚え,老姉妹を遠ざけようとする。老姉妹は夫婦にヴェネチアをでるように警告し,夫のジョンには霊感があるというのだ。息子ジェニーがいるイギリスの寄宿学校から病気で手術が必要との連絡を受け取った夫婦は,一枚しか取れなかった航空券で妻が先に英国に戻り,夫は後から列車と車で向かうことになった。ホテルから駅に向かう水上バスの上で,夫は老姉妹と一緒にホテルの方向に戻ってくる妻を目撃する。慌ててホテルに戻った夫は妻を探しまわるが見つからずとうとう警察に捜索願を出す。夜になって英国の学校に電話をかけ,妻が無事にイギリスに着いたことを知った。警察で容疑者として呼び出されていた老姉妹にわびて,彼女たちを宿に送っていった帰り道にヴェネチアの暗い迷路のような路地で迷い,前に見かけた小さな女の子の後を追っていく。……女の子と思っていたのに……。喉を刺されて朦朧とする意識の中で,ジョンは水上バスで見かけた老姉妹と一緒に戻ってくる妻の姿は,予知夢だったことを悟る。

悲しみにくれる妻と,その気持ちにいまいち寄り添うことのできない夫の混乱と,夫婦の微妙な食い違いが描かれていると思います。見たことのヴェネチアの薄暗がりの路地は,見知らぬ土地で迷子になった不安な夢で見た街のようです。

この先,実際に見るチャンスはないであろうヴェネチアの街をストリートビューで見てみると,水上バスの路線にもストリートビューがありました。夜の暗い路地にははいれませんでしたが。

 

「真夜中になる前に」Not After Midnight

49歳独身の寄宿学校の教師は,クレタ島での休暇中に病を得たため退職せざるをえなくなった。彼のクレタ島での奇怪な体験が本人の口から語られる。絵をかくことが趣味なので,ホテルに無理を言って,静かで眺望が良いが前の宿泊者が海の事故で亡くなったという訳ありのバンガローを借りた。心ゆくまで絵を描き快適な毎日だったが,飲んだくれで傍若無人な夫と耳の不自由な妻というアメリカ人夫婦に出会って不愉快になった。しかし毎日ボートで出かけている夫婦が何をしているのかとても気になり,作業所らしい小屋まで跡を付けた。顔のついたサチュロスの角杯を夫婦から受け取った夜に悪夢にうなされた。夫婦がホテルを立ち去ったという日に,その小屋に向かうのだが…そこでやむを得ずのどの渇きをいやすためにその角杯で,小屋に残っていた自家製のビールらしいものを飲んで…飲んだくれの夫の最期を知る…

そこでそんなものを飲んではダメに決まっているでしょう,とは思います。ギリシャ文明の自由奔放な魔法か呪いか何かの力で,その教師が知らずにもともと隠し持っていたものに,本人が気付いてしまったということなのでしょうか。20世紀の半ばころまでこのような性癖は,キリスト教的文化の元では違法で,病として治療すべきものとされていたそうです(映画『イミテーションゲーム』でカンバーバッチ演じる数学者のアラン・チューリングがホルモン療法を受けさせられていました)。ちょっとばかり自己中な教師ですが,とてもお気の毒な結末でした。そういえば,スピナロンガ海峡の近くに小屋があったのですが,スピナロンガは『封印の島』の舞台でした。

 

「ボーダーライン」A Border-Line Case

かけだしの舞台女優シーラが、父の臨終の言葉「ああ、まさか…ああ、ジニー…なんてことだ!(ジニーは芸名)」にショックを受けて,父の旧友をアイルランドに訪ねる。父と疎遠になっている退役軍人の屋敷に拉致同然に連れていかれる。父が「ニックはイカレていた(ボーダーラインだった)」と言っていたが,彼の国境(ボーダーライン)付近での活動はかなり過激だ。でもそのニックに次第に惹かれていくシーラ。…ロンドンに戻ったシーラはニックからの手紙に入っていた古い写真で,自分の出自を知ることになる。

若い娘の危なっかしい冒険と恋愛というだけでは終わりません。かなり残酷な結末だと思うのですが,今回読み返してみて,結末を予想させるいくつかの伏線が見つかりました。結末がわかっていても,やはりスリリングでした。

 

「十字架の道」The Way of the Cross

英国からのエルサレムへのツアー案内をするはずだった牧師が急病で,代役を頼まれた若い牧師バブコック。ツアーメンバーの,地元の名士夫妻とその孫ロビン,女に手の早い会社社長夫婦,夫婦生活がうまくいかない新婚さん,それに教会にのめりこんでいる老婦人の8人は,巡礼でごったがえすエルサレム旧市街を観光するのだが,それぞれの思惑に従って自分勝手な行動をとる。皆それぞれに事故や恥辱やパニックなどが起こって,でもまたその先の旅を続けるようだ。

意地の悪いユーモアに満ちたコメディーです。前半ではそれぞれの登場人物の心の声が入り乱れて本音を語るので,お互いに無意識の軽蔑や敵意を持っているこのグループにどんな騒動が起きるのか期待しちゃいます。巡礼と観光客で身動きも取れない混雑のなか,迷子になった登場人物たちに次々と事件?事故?が起きて,どう収集が付くのか! エルサレムの街の混乱と人間関係の混乱が輻湊して,読んでいてめまいがするほどですが,そこがまたおもしろい所です。それぞれに恥辱や恐怖を経験して自分と向き合い,他人への思いやりのようなものが生まれてきたのでしょう。行違っていた関係が変化して,グループ内にかすかな連帯感さえ生まれたようです。この話を実写ドラマにしたら,人間ドラマとエルサレムの観光の両方が楽しめるなあと思いました。

 

「第六の力」The Breakthrough

電子工学が専門の”わたし”スティーブンは,上司に命じられて東海岸の辺鄙な地にある研究所で秘密の研究に従事することになった。気が進まなかったが,発語可能なコンピュータの出来のよさに魅了されて,いつしかマクリーンの研究に協力するようになった。しかし彼の本当の目的は,精神感応とか予知を引き起こす生命のエネルギー(第六の力)は,死の瞬間に機械の中に保存することができるのではないか,というものだった。余命の限られた白血病の青年ケンと障害をもつ少女を実験材料にして機械の中に取り込んだものは,単なるエネルギーではなく,ケンそのもの,ケンの知性なのだったのだろうか。

この小説が書かれた1960年代には,アラン・チューリングによる人工知能の概念はすでに確立されていたはずです。私が中学生のころSFが流行っていたと思います(ハヤカワのSFマガジンを読んでいたので)。デュ・モーリアがSFも書いていたなんて驚きです。ジョニデ主演の『トランセンデンス』という映画を数年前に見ましたが,主人公の知能そのものを量子コンピュータにアップロードする場面を思い出しました。この小説では,政府の監視員に見つかりそうになって,やむを得ずデータを消去してしまいます。インターネットが整備されたのはもっと後だったから,残念だったねえ…