壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

夢見る帝国図書館 中島京子

夢見る帝国図書館 中島京子

文藝春秋 2019年5月 

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フリーライターの”私”が国際子ども図書館の取材の帰りに上野公園のベンチで知り合った初老の喜和子さんは,不思議な人物だった。喜和子さんとたまに出会って話をするたびに,彼女のこれまでの人生の謎の部分が広がっていく。また上野界隈の風景の変化とともに,喜和子さんをめぐる個性的な人たちとの交流が広がっていく。

 喜和子さんの亡き後に知り合った孫の紗都との交流に心温まる思いです。戦後の上野のバラックで暮らしていたという喜和子さんの謎の部分が明らかになるにつれ,小さいときから苦しい人生を送ってきた喜和子さんが求めていた自由というものが何だったのか分かったように思いました。

一方,喜和子さんが書こうとしている,または,語り手に書いて欲しいという,または,もう誰が書いているかもしれない『夢見る帝国図書館』という小説のようなテクストが並行して進行していく。明治の初め,ヨーロッパの図書館に負けない立派な帝国図書館を目指すも諸事情により果たせないという図書館の歴史が,様々なユーモアに満ちた現実と架空のエピソードで綴られる。

図書館に通ってくる明治の文豪たちのつながりは妄想の域に達していて楽しかった。樋口一葉に恋する図書館,谷崎と芥川のあのインド人が菊池寛に侵入(?)していくのに笑わせられました。震災をへて,図書館の増設は戦費調達のため頓挫し,発禁図書,略奪図書,上野動物園の動物たち,GHQと盛りだくさんのエピソードです。

 「上野って,昔から,そういうとこ。 いろんな人を受け入れる。懐が深いのよ」という喜和子さんの言葉と,最後の「とびらはひらく/おやのない子に/脚をうしなった兵士に/ゆきばのない老婆に/…… 真理がわれらを自由にするところ」という瓜生平吉の詩がリンクして,図書館は「誰に対しても自由に開かれた場所でなくてはならない」と考え,本と図書館を愛する私たちに深い感動を与えてくれるのでした。