壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

バージェス家の出来事 エリザベス・ストラウト

バージェス家の出来事 エリザベス・ストラウト

小川高義 訳  早川書房  電子書籍

バージェス家はメイン州の小さな町にある貧しい白人の家だった。ジムとボブの兄弟二人はニューヨークに出て成功し,司法関係の仕事をしている。ボブと双子の妹のスージーメイン州に残って,息子のザックと暮らしている。ザックが起こした事件が,移民問題公民権侵害という大きな社会問題を引き起こし,その中でバージェス家の家族関係が変化していく様子を描く,アメリカ的家族小説だ。

本書の冒頭に〈バージェス家の子供たちを小説にして書こう〉という作家らしい女性の書くプロローグがあって,ボブの再婚,幼かったボブと父親の死,ザックの起こした事件のことが,先取りして紹介されている。プロローグを読んで,「この家族のこと,知っているよ!」という既視感を持ったが,実は先に読んでしまった『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』の中の一編「故郷を離れる」でバージェス兄弟のことが描かれていたせいだった。でも,この既視感は先に読んでしまったためばかりではない。ストラウトの人物描写は実にリアリティーがあって,人生の機微を突いてくる。「ああ,こういうの,わかる!」という感じがするのだ。

ヘイトクライムやポリティカルコレクトネスに敏感なアメリカ社会にあって,バージェス家の兄弟と家族,間借り人,ソマリ人の移民などの視点から幾重にも語られる物語は大きな社会問題を秘めているにも関わらず,穏やかで日常的な表現に終始している。家族の過去の事件が家族の絆を変化させた後,再び繋がる様子に救われる思いがした。移民の一人,ソマリ人のアブディカリムの存在も救いの1つだ。家族問題も社会問題も解決には至っていないが,前向きな一歩を信じられる終わり方だった。

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私の名前はルーシー・バートン』の続編でエリザベス・ストラウトの五冊目,『何があってもおかしくない』は,電子書籍が半額になるのが待ち遠しい。

公民権問題を扱った小説(と映画)として『アラバマ物語』を思い出した。映画の方はAmazon Prime Videoで見られるが,小説は絶版。暮しの手帖社刊を昔読んだ覚えがある。電子化して欲しいな。

風の十二方位 アーシュラ K ル・グィン

風の十二方位 アーシュラ K ル・グィン

小尾 芙佐・他 訳  ハヤカワ文庫SF  電子書籍

ル・グィンの初期短編集で,17編のバラエティに富んだ作品が収められている。あまりにも多彩なため,各作品の場面設定が分からないものが多い。著者自身のまえがきが作品ごとに付されてはいるが,長編作品との関連の深いものが多くて,読んだ事のない長編を類推しながら読み通すのは厄介だった。

SFという括りには入っているが,ル・グィンのSocial Science Fictionは思索的,実験的な面が強くて,忍耐力を求められるものが多かった。魅力的な作品が多いが,読み始めるのを躊躇するくらい重そうで,未読のままになっているものをどうしようかと,ずっと迷っている。

久しぶりにSFが読みたくなって,除夜の鐘をききながら読み始めた本書を一週間かけて読み終えた。訳文が所々分かりにくいせいだけではないが,疲れた。掲載が発表年代順という事で,ル・グィンの多元宇宙(ハイニッシュ,アースシー,その他サイコミス)を行ったり来たりしながら読んだが,順序を入れ替えて記録しておく。少しは自分のボケ防止になると思って。

 

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アースシー」(『ゲド戦記』として知られる世界)の物語は「5.解放の呪文」と「6.名前の掟」。六巻もあるアースシーの物語はいつか読み返そうとは思って処分せずに書棚に置いてある(が,再読は可能なのだろうか)。

5.解放の呪文」では牢獄に捕らえられたフェスティンという魔法使いが,最後の手段で脱出を試みる。

6.名前の掟」は小さな島に住みついた力のない魔法使いが〈真の名前〉を呼ばれた事で恐ろしい竜に戻ってしまう。

「ハイニッシュ・ユニバース」(ル・グィンの主要な世界)の物語群は下記の四つ。ハイニッシュ・シリーズは7つの長編といくつもの短編からなっている。既読の長編は最初の『ロカノンの世界』と最後の『言の葉の樹』。未読の『闇の左手』と『所有せざる人々』は電子化されているのでそのうち読もうと思っている。

1.セムリの首飾り」は『ロカノンの世界』の冒頭をなすもの。

7.冬の王」は『闇の左手』の舞台である惑星ゲセンの話。子供時代には性別の決まっていない種族って,萩尾望都の『11人いる!』のフロルみたい。

12.帝国よりも大きくゆるやかに」は辺境の惑星への探査に出かけたチームの人間関係と,動物が全く存在しない惑星の植物全体が集合体としてもつ知覚についての話。真菌類の菌糸や菌根が地中でものすごく大きなネットワークを持っているというを思い出した。

17.革命前夜」は『所有せざる人々』の舞台である惑星の歴史上の革命指導者であるオドーの晩年の物語。72歳になった彼女の内面を描き,かつて革命運動の中心的存在であった過去と,体力が衰えて活動に消極的になった現在を対比させている。私も今年は72歳。歳をとって初めてわかることもあるんだなあと思うけれど,老いの哀しみとか,悔恨とか,ル・グィンがこれを40代で書いたんだ。

残りの11編はル・グィンがサイコミス(心の神話)と呼ぶ物語群は思考実験のようなもの,意図が分からないもの,ル・グィンが「これはサイコミスではない」というものもあって分類できない。

2.四月は巴里」 最初に原稿料をもらった作品だそうで,ファンタジーの要素が強くて面白い。20世紀の学者が17世紀のパリで錬金術師に遭遇し,さらに三千年先の異星人が…

3.マスターズ」 科学と魔術と宗教が混沌としていた時代の科学者の葛藤を架空の世界で描き出している。

4.暗闇の箱」 ファンタジー。魔女の住んでいる四つ脚の小屋は,ムソルグスキーの「「バーバ・ヤーガの小屋(鶏の足の上に建つ小屋)」みたいだ。

8.グッド・トリップ」 ヤクによる幻覚を描いているのかと思ったら,思い込み?

9.九つのいのち」 9人のクローンが惑星探査のチームにいる。クローンたちは自己と他者をどう認識しているのかというような思考実験。

10.もの」 小さな島から皆が逃げ出している中で,煉瓦職人が選んだ道は希望だったのか。

11.記憶への旅」 私は誰,此処は何処,という状態から抜け出せるようで抜け出せない。

13.地底の星」 「3.マスターズ」と同様,科学が,宗教のような強力な規範に押しつぶされそうになった時にどうなるかを心理的な側面から描く。

14.視野」 宇宙飛行士たちが惑星の遺跡で体験したものは何か。器質的に異常がないのに聴力や視力を失って帰還した。あの遺跡は何なのか。

15.相対性」 ユーモアたっぷりのおとぎ話のようだ。近づいていくとだんだん大きく見える木の正体は,それだったのか!

16.オメラスから歩み去る人々」 最も短くて最も重いテーマの思考実験的作品。オメラスという豊かで幸せな都市の繁栄は,実はたった一人の子どもの悲惨な犠牲の上に成り立っているという。オメラスの人々はそのスケープゴートの存在を記憶から消し去って自分たちだけの幸福を享受するのか,罪悪感からオメラスを立ち去ってどこでもない場所に向かうのか。たぶん,この二択でないことが重要なんだと思うのですがね。

多摩川物語 ドリアン助川

多摩川物語 ドリアン助川

ポプラ文庫 電子書籍

多摩川沿いに住むごく普通の人々の,誰もがみんな抱えている鬱屈,悩みをそっと拾い上げて,ちょっとだけ救ってくれる,切なくて心温まる8つの連作短編です。わかりやすい言葉で繊細な感情が表現されて,気が付かないくらいにそっと優しく背中を押してくれるのです。抱えている問題が解決するわけではないけれど,気持ちが少しでも前向きになれば,明日からまた生きていけると思わせてくれました。

 

連作短編で主人公はそれぞれ別でも,他の話に登場人物としてちらっと出てきたりするのがうれしいのです。そして,なにより私がうれしかったのは,多摩川という場所です。舞台は府中や調布周辺でしょうか,昔,結婚するまで住んでいたのは隣接するK市などの多摩地区で,時代こそ違え昭和の雰囲気がまだ残っている物語に,懐かしさが止まりませんでした。両親が他界して実家がなくなり,家族親族も遠くにいて,今住んでいる静岡で一人余生を送る覚悟はできているつもりですが,それでも時々,寄る辺ない気持ちになることがあります。(もう六回目の年女なのにね。)そんな私の気持ちを癒してくれました。

 

農家に嫁いで黙々と働く雅代が開いた野菜の無人販売所に「黒猫のミーコ」が住みついた。古書店で働く洋平が古本を引き取りに行く家には「三姉妹」が住んでいた。五年生の克之は両親の不仲をだれにも言えないでいたが,親友のマル君と見たホタルの「明滅」が気持ちを変えてくれた。映画撮影所の小道具係の隆之は仕事上のトラブルで行き詰っていたが,仲間たちの「本番、スタート」に励まされた。中学二年の雅之は「台風のあとで」河川敷に住むバンさんと出会って,描いている絵にアドバイスを受けた。さびれてしまった大幸運食堂のオーナー継治が苦し紛れに作った「花丼」の起死回生。シングルファーザーとシングルマザーの二つの家族の出会いを描く「越冬」。一人暮らしの末に亡くなった母の部屋を片付ける良美が「月明かりの夜に」聞いた遺品のカセットテープ。巻末の詩にうっかり涙しました。

世直し小町りんりん  西條奈加

世直し小町りんりん  西條奈加

講談社文庫  Kindle Unlimited

今年最後の,お口直しに最適な,痛快というより軽快なエンターテインメント時代物です。元は『朱龍哭く 弁天観音よろず始末記』という単行本が改題されて文庫本になっています。元の題のほうが分かりやすいかも。 表紙が派手で元気が出ちゃう!

 

長唄の師匠をしている長屋住まいのお蝶には,腹違いの兄,町方与力の榊安之,がいます。兄嫁の沙十(さと)は観音様,お蝶は弁天様にたとえられるほどの美人姉妹です。伝法な言葉でも人情に脆いお蝶と,おっとりした見た目よりずっと思慮深い沙十がコンビを組んで,組屋敷に持ち込まれる困りごとを解決しています。ところが,お蝶と安之の父の死に絡んだ大きな陰謀が動き始めます。美人義姉妹を取り巻く男たち(夫,上司,幼馴染,近所の坊さん,若旦那,護衛の武骨な武士など)の誰が味方なのか,敵なのか,だんだんに皆の正体が明らかになるところが読み所です。

 

西條奈加さんの5冊目です。読みやすくて面白いの(ホントは安価,無料の)ばかり読んでいます。まだ『心淋し川』にたどり着けない。

 

2022年の読書のまとめ

50冊くらい読んでいる

電子書籍がほとんど 老眼がすすんで印刷の小さい字が読みにくくなった

読書傾向:半額セールの廉価本,読み放題本が多い(笑)

印象に残った本:読む端から忘れるので特にないかな(笑)

グダグダで,まとめられない(笑) 来年もこの調子で

 

  

乗客ナンバー23の消失  セバスチャン・フィツェック

乗客ナンバー23の消失  セバスチャン・フィツェック

酒寄進一 訳  文春文庫  電子書籍

2020年,豪華クルーズ船はコロナの集団感染の実験場となり,その人気は失墜したかに見えました。その後,復活した船も,引退した船もあるようです。コロナさえ治まれば,やはりあこがれの航路なのでしょうね。本書は,コロナ以前の豪華客船が舞台のミステリです。

 

〈海のスルタン〉号という豪華客船で母子が消えるという事件が起きる。探偵役は,かつてこの船で妻子を失った捜査官マルティン・シュヴァルツ。航行中の客船は非常に大きな密室ではあるが,乗客3000人にクルーも数千人で船自体が町のようなものだ。船内は入り組んでいて,見取り図なんかないので,読んでいてもどこがどうなっているのやら,さっぱりわからない。登場人物はそれほど多くないが,誰もが怪しげで秘密を持っているらしい。読んでいるうちに何度も予想を裏切られ,次の展開に唖然とする。

 

根底にある事件は,○○への虐待という不愉快なものですが,最後はそれなりの「救い」があってよかったと思います。でもこの種類の題材を扱うミステリを読むといつも戸惑ってしまうのです。不愉快さを持ちながら,ミステリの謎解きに惹かれ,乱読する自分の矛盾をどうしたものか悩みます。

よこまち余話 木内昇

よこまち余話 木内昇

中公文庫  電子書籍

明治なのか大正なのか,いつの時代なのか,神社と御屋敷に挟まれた短い路地にある長屋にひっそりと住む人たちがいる。坂の多い場所なので東京の何処かかもしれない。齣江はお針子を生業としている。向かいの長屋に住んでいるのはトメ,口の悪い婆さんだが齣江と親しいらしい。魚屋を営んでいるおかみさんには,浩一と浩三という息子がいる。彼らもまた齣江を慕っている。

季節はそっと移り変わるが,長屋の人々の暮らしはつつましく続いていく。でも,ときどき不思議なことが起きる。ぼんやりしていると気が付かないほどの,かすかなゆらぎがある。あの世と此の世,来し方と行く末が曖昧になって,時間の流れが円環になるようだ。

季節のうつろいが美しく描写されていて,引き込まれます。人情が穏やかに表現され「いい話」にはもって行かない所も好みです。そして時間の流れの謎が解けそうで解けない所も,この物語の魅力になっているようです。あえて解きたくないと思います。このままそっと味わいたい物語でした。

著者の作品『茗荷谷の猫』『占(うら)』もよかったけれど,本作はそれにも増して素晴らしい。こういう物語のあらすじは書きたくない,というか,書かなくても忘れない。いや,すこし忘れてから,もう一度読みたい。

くるみ割り人形とねずみの王さま/ブランビラ王女   ホフマン

くるみ割り人形とねずみの王さま/ブランビラ王女   ホフマン
島かおり訳 光文社古典新訳文庫 Kindle Unlimited

クリスマスといえば『くるみ割り人形』が定番です。3年ぶりに来日しているウクライナ国立バレエ(旧キエフ・バレエ)の今年の演目はチャイコフスキーの作品ではないそうです。ロシア人作曲家の作品はしないという意向で,チャイコフスキーだって不本意でしょうね。演目は『ドン・キホーテ』だって。
高価な舞台には行けませんが,今は動画で(解像度は低いけど)いくらでも楽しめます
2020年のウクライナ国立バレエ団のくるみ割り人形の全編です。

www.youtube.com

こんな美しいものを壊してはいけませんね。平和を願いながら見終わりました。

そして,このバレエの原作とされるE.T.A.ホフマンの『くるみ割り人形とねずみの王さま』を読みました。

 

くるみ割り人形とねずみの王さま

セリフのないバレエ作品は比較的単純化されたストーリーで,ホフマンの原作をデュマがリライトしたものです。原作の方はいかにもホフマンらしく,現実と幻想の間に明確な境目がなく,いかにも怪しげな感じです。自動人形が出てきたり,ホフマンの別の小説『砂男』の登場人物を思わせる所もあります。子供向きのメルヘンという括りには納まりきらず,言葉の裏に何かが隠されているものは,読み手によってどのようにでも解釈できるものなのかもしれません。でも,いろいろ考えずに,美しいバレエのシーンを思い出しながら読むのが楽しい。

ブランビラ王女

ジャック・カロの戯画に着想を得た,カプリッチョ(綺想曲)だそうです。メルヘンでもなければ,小説でもない,複雑な構成をもった「喜劇」に頭がクラクラします。ローマのカーニバルが舞台で,主人公は貧しいお針子と三文役者のカップルです。しかし,この二人は,夢の中の,幻想の中の王女と王子,舞台上の,そして語られる物語の中の王女と王子と重なり合って,収拾がつきません。読んでいて混乱します。ドッペルゲンガーだけでは足りない! 
カプリッチョの自由な変奏はとどまるところを知らず,幻想,仮想,仮装,変奏,変装を繰り返して進行するオペラのようです。作曲家でもあったホフマンはオペラを意識していたに違いありません。後世には他の作曲家によってオペラ化されたそうです。今なら,アニメ化や実写CGで表現して欲しい,イメージ豊かな作品でした。