壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

誓願 マーガレット・アトウッド

誓願 マーガレット・アトウッド

鴻巣友季子訳 早川書房    図書館本

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侍女の物語』の15年後の物語。オブフレッドの一人語りだった『侍女の物語』は読めば読むほど鬱々として胸塞がる思いだったが,この物語は読めば読むほどに引き込まれるエンタメ性の強い話だ。ギレアデ政権の中枢にいるリディア小母,ギリアデで育ち外の世界を全く知らないアグネス(ヴィクトリア小母),隣国カナダで自由に育ちギリアデを知らないデイジー(またはジェイドはのちにある理由で小母になる教育を受ける)の三人三様の語りで進行する,いわば「小母たちの物語」。

 

翻訳されてまだ半年だからあまりネタバレしないが,リディア小母はギリアデ国成立当初のひどい経験を経てしたたかに変貌していく。このディストピアとしてのギリアデを倒すべく綿密な計画を練ったのだ。アグネスとデイジーというティーンエイジャーの女の子の冒険譚も面白く,未来に希望の持てる物語になっている。

Huluのドラマは見ていないが,映像化にも適しているのだろう。

 

ベッカはかわいそうだったけど,ギリアデの権力者の男たちの気持ち悪さは前作以上で,こいつらに復讐出来てスッキリした―!

侍女の物語 マーガレット・アトウッド

侍女の物語 マーガレット・アトウッド

ハヤカワepi文庫 電子書籍

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侍女の物語』はディストピア小説として1985年に書かれたものだ。ユートピアはいつも,私たち現在の世界から遠く離れた所にあるのに,ディストピアはいつも,現在と地続きの所にあるのだ。

 

続編の『誓願』を借りてきたが,『侍女の物語』の細部の記憶をたどれず,あきらめて再読した。初読では,この世界の奇異な部分にとらわれて全体像があいまいなままだったが,再読でもやはりあいまいな部分は残されたままだ。

唯一の語り手であるオブフレッドの現在の中に,頻繁にフラッシュバックする彼女の過去‐夫と娘と暮らした過去‐が痛ましい。ある日突然に,銀行口座を封鎖されて自立した生活を奪われ,名前さえも奪われて子供を産む装置としてのみ扱われる彼女の現在の生活,さらに虐げられた人々のたくさんの階層からなる社会の構造,抵抗組織メーデーの存在。宗教は政治の道具となり,人々を救済することはない。追い詰められた彼女はいう。

わたしは体に、脚や目に疲労を感じる。それが人を最終に捕まえるものだ。信仰とは刺繍された言葉にすぎない。(第15章 夜)

 彼女はどこに行ったのだろう。ところが最後の“『侍女の物語』の歴史的背景に関する注釈”という章で,22世紀の終わりころに開催された「ギレアデ研究の第十二回シンポジウム」で彼女オブフレッドの語りの信憑性が取りざたされるのだ。その信憑性について,我々読者が判断する余地は全くないのだが,オブフレッドの時代から約2世紀後の世界がどうなっているかのほうが気になる。ギレアデというキリスト教原理主義全体主義国家はもうないらしい。シンポジウムの参加者たちはどういう人物たちなのか。ギレアデの文化を揶揄するような発言が多い。

 

続編で何が明かされるのか!  再読にすっかり時間がかかってしまった。さあ,『誓願』を読もう。図書館の期限が迫っている。

オリーヴ・キタリッジ、ふたたび  エリザベス・ストラウト

オリーヴ・キタリッジ、ふたたび  エリザベス・ストラウト

小川高義/訳 早川書房   図書館本

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 ✉ おかえりなさい, オリーヴ。 

『オリーヴ・キタリッジの生活』からもう十年。その間も,あなた様は元気でお暮しのようですね。HBOのドラマも拝見いたしました。ジャックって,あの車で轢きそうになったジャックですか! 平穏に思える長い人生の中でも,個人的には怒涛の出来事が起こり,そして最後にはまた一人になっていくのですね。老年期の生活も心の中はけっして平穏ではないのはわかっているのですが…。オリーヴ,あなたの生活を覗き見て,私も,没イチの長い一人暮らしの老年期をどう泳ぎ切っていくのか(又は,どこでおぼれるか)少しばかり先が見えたような気がしました(いや,もう結婚はしませんよ)。

 

前作と同様に連作短編で,メイン州の小さな町に起こる出来事が数年置きに描かれています。13編のすべてに、脇役として、時に主役として登場するのがオリーヴ・キタリッジです。彼女の70代半ばから80代半ばまで,つかずはなれずオリーヴの人生の断片を拾い上げながら物語が進行します。人が老いるとはどういうことなのか…。自立して生活できたとしても不安感や寂しさは付きまとい,老いてもなお新しい楽しみもあります。

 

オリーヴの強烈な個性も年と共に丸くなり,言わなくてもいいことは言わないで済ませる術も身につけたようです。その分ため込んだ心の声の持って行き所である独り言(独白=毒吐く)もマイルドになったような気がします。訳者のあとがきによれば,86歳になったオリーヴの物語はこれで終わりなのかもしれませんが,メイン州の小さな町の話はストラウトの他の作品にも出てくるそうで,やはり簡単なメモを作っておきましょう。

 

『逮捕』ジャック・ケニソンはスピード違反でパトカーに止められた。数か月前に亡くなった妻や同性愛者の娘のことを考える。

『産みの苦しみ』オリーヴ・キタリッジは,自分の車の後部座席での出産に立ち会う。ジャックにその話をして,さらに子供たちのことも話しながら…。♪そんなことがあればだれかに話したい。

『清掃』ケイリー・キャラハンは八年生で,バーザ・バブコック家とリングローズ先生の家の掃除のバイトをしている。近所に住んでいたミニーさんに会いに定期的に老人ホームを訪れる。♪思春期の揺れる心とピアノの関係がおもしろい。

『母のいない子』NYの息子クリストファーが再婚相手の連れ子達とクロスビーにやってくる。オリーヴ自身の初孫ヘンリーは二歳。オリーヴの家は荷物がなくなって片付いている。♪息子じゃなくたって,我々読者だって,びっくりですわ。

『救われる』ラーキン家が焼け落ちて父が亡くなり母はすでに施設に入居。ボストンからやっていた娘スザンヌは父の友人の弁護士バーニーに会う。スザンヌの精神的につらい状況を救ったのはバーニーだった。

『光』抗がん剤の自宅治療中のシンディ・クームズをオリーヴが見舞う。教え子だったシンディに対してオリーヴは距離が近すぎるくらいおしゃべりをする。♪親切からだが,お見舞いというよりつい自分自身のおしゃべりをするオリーヴ。

『散歩』デニー・ペレティエは散歩しながら昔を思い出すが,ある出来事に出会って考え方が少し変わる。

『ペディキュア』ジャック(79)とオリーヴ(78)は車で隣町のレストランに行き,ジャックのかつての愛人エレインに出会う。帰りに車がいたずらで傷つけられていた。♪「これが最後の車なんだ」と嘆き,オリーヴは足の爪が切れないと嘆くのが,身につまされる。

『故郷を離れる』バージェス夫妻(ジムとヘレン)は弟夫妻(ボブとマーガレット)を訪れる。ヘレンとマーガレットはなりゆきで一緒に観光することになるが,居心地が悪い。ジムとボブと妹のスーザンは,故郷シャーリー・フォールズでの子供時代の事件を語る。♪『バージェス家の出来事』(ストラウト第4作)の人々らしい。そのうち読もう。

『詩人』オリーヴ(82)は教え子で,有名な詩人のアンドレア・ルリューに出会う。いろいろしゃべったことが詩に書かれていて,詩が載っている雑誌の処分にウロウロしてしまう。♪ジャックを亡くしたばかりのオリーヴはアクセルとブレーキを間違えたって…それでも運転している。

南北戦争時代の終わり』マクファーソン夫妻(ファーガスとエセル)は,黄色いテープでゾーニングして家庭内別居している。娘のリーサが出演するドキュメンタリーをめぐって一騒動あるが,その夫婦関係はかわらないのだろう。

『心臓』オリーヴは病院の集中治療室で目が覚める。心臓発作だった。通いのヘルパー介護で自宅で過ごすも一人の時に転倒して,老人ホームに入る。「大統領になったオレンジ色の髪の怪人」の時代です。♪私も玄関前で転んで「このまま死ぬかなあ」と思ったことがある。

『友人』老人ホームでのオリーヴは,仲間を作れない。最初はひどいあだ名をつけていたイザベル・デグノーとだんだんに打ち解けて,支え合うような友人になった。オリーヴは終わろうとしていることを感じながら,「自分自身が気に入らない」「こんなこと,いまさら思っても,しょうがない」と。そしてタイプライターで「自分がどんな人間だったのか,手がかりさえもない。正直なところ,何ひとつわからない」と書いた。♪何ものでなくても,生きてそして死んでいけるだろうと思う。イザベルは『目覚めの季節 エイミーとイザベル」の人物らしい。

謎のクィン氏 アガサ・クリスティー

謎のクィン氏 アガサ・クリスティー

早川書房  電子書籍

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どこからともなく現われては,love affairを解決して,また姿を消すハーリ・クィン。解決というより,登場人物たちが不幸な結末にならないよう,救済の方向を示唆します。ミステリーというよりは,大人のおとぎ話のような幻想的な雰囲気です。ミステリーとしての辻褄は合っているけれど,舞台設定や登場人物の顔合わせは現実的ではありません。短編を読み進むにつれて,クィン氏の存在自体があいまいな形になっていきます。

 

読み始めは戸惑いましたが,クィン氏の超自然的な存在を受け入れれば,あとは一気に読み進められました。この作品群が描かれたのは1930年よりも前で,前世紀末の神秘主義的な雰囲気が残っていたのかなあと。ただ物語の小道具としてたくさん出てくる音楽や絵画や文学は,あまりなじみのないものが多くて,読み手の教養が試されている感じもします。

 

ハヤカワのクリスティー文庫(電子版)のバーゲンセールで読みたい本が半額以下ならとりあえず買っておきます。クリスティーのどの作品が未読なのか,この歳になるともうわかりません。ポアロ,マープル,トミー&タペンスは本を読んだのかドラマを見たのか,見覚えのある題名ばかりです。でも『謎のクィン氏』を読むのはたぶん初めてです。この印象的な話を過去に読んでいたら,絶対に忘れていないと思います。「サタースウェイト氏」の名前は忘れそう。クィンが姿を現すときには,その場に必ず居るクィン氏の代理人のような裕福な,芸術に造詣が深い,他人の人生ドラマを観察するのが大好きな老人。

 

以下はネタバレのメモ。

 

晦日の嵐の夜,ロイストン荘での集まりに突然「クィン氏登場」。車の故障で雨宿りに来たという。十年前の自殺の理由を探り,こわれそうな関係を救った。

♪「嵐の館に車の故障の理由で突然現れる探偵」ってどこかのミステリーで使われていた。♪

 

「窓ガラスに映る影」の幽霊がでるという,グリーンウェイズ荘の行き止まりの秘密の庭で射殺された男女。事件後に突然訪ねてきたクィン氏が状況から犯人とされた女性を救ったばかりか,新しい関係を後押しした。

 

「〈鈴と道化服〉亭奇聞」:サタースウェイト氏は荒野の真ん中でパンクして,偶然立ち寄った「鈴と道化服」亭で,宿泊していたクィン氏に偶然出会う。三か月前の謎の失踪事件から,大きな盗難事件に行き着く。

 

殺人事件の法廷で有罪判決を受けた若い男だが,サタースウェイト氏はその判決に疑義がある。偶然立ち寄ったレストランで出会ったクィン氏と話しているうちに,ハウスメイドが事件直後にカナダに行ったことに不自然さを感じ,バンフまで証言をとりに行ったサタースウェイト氏。ハウスメイドの見た「空のしるし」がアリバイトリックを破るカギになる。

♪イギリスの鉄道の時刻は正確なのだろうか? 彼女の新しい働き口のバンフの大きなホテルって,バンフスプリングスかな。♪

 

冬をモンテ・カルロで過ごすサタースウェイト氏は旧知の伯爵夫人と出会う。事件はまだ起きていないようなのに,突然現れたクィン氏。ルーレットを回すクルピエの間違いに,サタースウェイト氏はしぶしぶ伯爵夫人に勝ちを譲った。そのあとにクィン氏の導きで「クルピエの真情」を知ることになる…

♪いやいや最後にもうひとひねり,一筋縄ではいかないクリスティーの結末です。背景に世界恐慌があるかも♪

 

69歳になったサタースウェイト氏はスペインの島で休暇を過ごしながら,自らの老いを感じている(ちょうど私も同じ歳で同じ思いなのです…)。ホテルの先にある断崖絶壁の家ラ・パズの庭園で出会った男は,道化師の服を着た男を見たという。余命半年という男と,その家ラ・パズで出会った女。ドラマチックでロマンチックな過去をたどり二人を救ったのはサタースウェイト氏だった。最後にクィン氏に出会うが,彼は行き止まりの絶壁に向かう道を海に向かっていった。自らを死者の代弁者だというクィン氏は,「海から来た男」なのだろう。

 

カンヌで過ごすサタースウェイト氏の知り合いのレディー・ストランリーに,闇の声が聞こえるという娘のマージョリーの様子を,イギリスで見てきてほしいと頼まれる。帰りの列車の中でクィン氏に出会う。娘のマージョリーは「お前は私のものを奪った。殺してやる。」と実際に危害を加えられた。霊媒師を呼んだ降霊会で,海難事故で亡くなったレディー・ストランリーの姉のビアトリスが現われ本人にしか分からない質問に答えた。そのあとに起こるレディー・ストランリーの死と年老いたアリス・クレイトンの死。「これでよかったのかもしれない」とサタースウェイト氏。

 

コベントガーデンのオペラハウスで偶然クィン氏と出会いボックス席で道化師(パリアッチ)を観劇中,「ヘレンの顔」を持つ美しい女性を見かけた。けんかに巻き込まれそうなその女性ジリアン・ウエストと知り合い,その命を助けることになる。

♪オペラの声の共振でガラスを割る設定はあやしいが♪

 

チャーンリー卿が自殺した部屋を描いたらしい「死んだ道化役者」という絵画を購入したサタースウェイト氏は,二人の女性からその絵を譲るように頼まれる。クィン氏と共に自殺に偽装した殺人事件のトリックを見破って,残された母子の将来を救う。

 

降霊会でクィン氏からメッセージがありレイデル荘に向かったサタースウェイト氏は,「翼の折れた鳥」のような魅力or魔力を持った女性メイベル・アンズリーに会う。森の中でクィン氏らしい人物を見かけたということで,事件を予感した。彼女の自殺を信じられないサタースウェイト氏は,犯人を突き止める。メイベルを救えなかったと嘆くサタースウェイト氏に,クィン氏は「たぶん死は最大の不幸ではありません」という。

 

侯爵夫人に連れられてのコルシカ島での不本意な休暇で,彼女の親族の女性ネオーミ・カールトンに出会う。ネオーミの恋人は宝石窃盗の罪で投獄されている。ネオーミのいう「世界の果て」の行き止まりの道でクィン氏を見かける。雪に降られて駆け込んだ安食堂には,女優とその一行がいて,女優は盗まれたオパールの話をするが,その話の間にオパールがみつかる。クィン氏は世界の果てに向かう。

 

ロシアからの亡命者であるデンマン夫人に好奇心をかきたてられて,サタースウェイト氏はアシュミード荘を訪れる。庭園の「道化師の小径」でクィン氏に出会い,小径の終わりがゴミ捨て場になっていることを知る。ロンドンからオラノフ大公が連れて来たプロのダンサーの怪我で仮面舞踏会の役をデンマン夫妻と客たちが引き受けることになった。上演中に姿が見えなくなったデンマン夫人は,小径の先で…。二つの愛の間で選択を迫られた時,第三の選択は死なのか,死は究極の救済なのか…クィン氏は姿を消した。

新型コロナからいのちを守れ!  理論疫学者・西浦博の挑戦

新型コロナからいのちを守れ! 理論疫学者・西浦博の挑戦

西浦 博/著 川端 裕人/聞き手 中央公論新社    図書館本 

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西浦さんが語る,ダイアモンド・プリンセスから,国内の第1波(今から考えると小さな波でしたが)と4月~5月の緊急事態宣言(いわゆる8割削減)を経て第2波が起こる前までのドキュメンタリーです。聞き手の川端さんの解説が挿入されていますが,大半は西浦目線での語りで,面白くて読みやすい本でした。コロナ対策にかかわった科学者たちの真摯で熱い心と頑張りが伝わってきます。多少の裏話も出てきます。ニュースや会見を見た時の違和感(専門家と政治家の齟齬)がやっぱり本当だったんだなとか…。経済と流行対策というトレードオフのかじ取りをするのは政治家(+行政)の役割です。「専門家にご判断いただく」という政治家の責任逃れには腹が立ちます。専門家が出す感染症数理モデルと経済の数理モデルを基に,政治家が責任をもって判断してください,と思いました。

 

あの頃は今以上にコロナで大騒ぎの時期で,テレビもネットもコロナ一色。田舎の一人暮らしの私でさえ,コロナに感染する可能性はほぼゼロだったにも関わらず,なぜか危機感でもどかしい思いをしたものです。情報源はネットとNHKで(新聞は取ってないし民放のワイドショーは嫌いなので),情報に偏りがあったのかもしれませんが,西浦さんが出てきたときは「これだ!」と思いました。数理モデルの中味は理解できませんが,感染症の流行予測は数理モデルしかないと思っています。川端さんの『エピデミック』を読んだ事があるからかな(この小説,お勧めです)。

 

1回目の緊急事態宣言は適切だったのかは誰にもわからないけれど,有効であったことは確かです。第2波(8月ごろ)が来るまでの時間稼ぎができたことは大きかったと思います。検査体制はいまだに不十分ですが,感染や重症化のメカニズムがだんだん明らかになり,警戒宣言を出さずに何とか第2派を乗り越えました。でも感染を減らし切れなくて,すぐに第3波が来てしまいました。そして2回目の緊急事態宣言(1月から3月)では感染が抑えきれなかったから,第4波も来るのでしょう。ワクチンは間に合わないし,変異株もでて,オリンピックもあるし(あるの?),まだ当分終息しないでしょうね。

ウナギが故郷に帰るとき パトリック・スヴェンソン

ウナギが故郷に帰るとき パトリック・スヴェンソン

新潮社                図書館本

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ウナギの生命誌研究史・文化史を興味深いエピソードとともに綴る冷静なノンフィクションの章と,著者と父親のウナギ釣りという個人的な思い出を詩的に語る章とで交互に構成された本は,深い感動を起こした素晴らしい読書体験でした。 著者はスゥエーデンのジャーナリスト。ウナギや自然に対する敬意こそが,自然保護の原点なのです。

 

前回読んだウナギの本を図書館に受け取りに行った時に新刊図書の棚で見つけ,話題の本とも知らずに,カバー絵からファンタジーな物語を想像していたのですが,抒情的ノンフィクションという想像もしていなかった本でした。ノンフィクション部分も面白く父親との思い出も感動的ですが,この二つが組み合わさって,生命への根源的な問いと人生の意味を思索するような不思議な感覚です。スゥエーデンのグレタさんのように声高に自然保護を訴えるようなことは全くないのに,自然保護を改めて真面目に考えされられました。

 

「ウナギ→蒲焼」という下心のある日本人の狭い視野からは想像もつかないノンフィクションです。ヨーロッパにおけるウナギの位置づけ,アリストテレス,リンネ,フロイトなどウナギにかかわってきた研究者のエピソード,歴史や文学に現れるウナギなどの驚くべきエピソードにあふれています。ヨーロッパウナギに対するかなり厳しい保護施策も,ウナギの減少を食い止められない様子に危機感を覚えます。『結局,ウナギは食べていいのか問題』で読んだような状況のニホンウナギはもっとヤバいですが,日本の養鰻場で稠密に飼われているウナギに発生した感染症が世界中のウナギに広がっているという話で,「蒲焼が食べられなくなる」という危機感がとても浅薄で恥ずかしいものに思えてきました。

 

ウナギの産卵場が突き止められたからといって,ウナギの謎のすべてを人類がわかるわけではありません。気候変動がどんな環境破壊を引き起こすのか,私たち人類が知らないたくさんの謎が自然界に隠れていて,どんなに科学技術が進んでも,破壊したら取り戻せないものが地球上にはたくさんあります。取り戻せない自然と共に生きていかなければならない人類の未来と,実は人類がいなくても地球が存続していく未来と…いろいろなことを考えました。温暖化による環境変化が新型の感染症をもたらすのは自明の理です。人類の経済活動を抑制する方向に自然が動いているような気がします。19世紀から始まった「化石燃料文明」はもうピークアウトしているのではないでしょうか。

結局、ウナギは食べていいのか問題  海部健三

結局、ウナギは食べていいのか問題  海部健三

岩波科学ライブラリー  図書館本

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私としては絶滅危惧種は食べないと決めています。食べないのは主に経済的理由ですが,環境意識で理論武装したい(笑)。うなぎの蒲焼は好きですが,生き物としてのウナギはもっと好きです。長い回遊と産卵の秘密と謎に満ちた生態をもつウナギを生き物として尊敬してしまうほどで,そんな生き物をうしなうのはさびしい。ニホンウナギの絶滅を防ぐ有効で現実的な手段があるのか知りたくて読んでみました。

 

有効な資源保全の取り組みは始まってはいるものの不十分で,効果を上げることができるかどうかもわからない。絶滅の可能性を考えるべきで,資源量などの科学的なデータも不十分で,なんと七割が違法に漁獲されたシラスウナギ,トレーサビリティがないため一杯500円のうな丼も一万円のうな重も密漁由来かどうか区別がつかないらしい。「保全のため食べない」「食べられるうちに食べたい」「食べていいものなら食べたい」「高いから食べない」「土用の丑の日には絶対うなぎ」「うなぎは嫌い」「うなぎで儲けたい」「うなぎで生活している」いろんな立場の人がいる中でどのようにバランスをとるのかは難しい。表紙に「そのモヤモヤにお答えします」とあるけれど,読後にさらにモヤモヤします。

 

 

 

 

以下は忘れないようにメモ

はじめに

「食べてよい」or「食べてはいけない」という結論は出さないと明言。ウナギの問題は,[環境問題や生物資源の持続的利用という]さまざまな問題において,シンボルの1つになる…

♪環境の問題というのは正解のない問題なので,まあ当たり前でしょうね。コロナ対策だって,今のところ正解があるわけではなく,試行錯誤の連続です。♪

 

1.ウナギは絶滅するのか 

ニホンウナギ絶滅危惧種(絶滅危惧IB種)になっているが,減少の正確なデータがない!でも8割くらい減少?保全の対策が遅れているのは事実。減少の原因は(1)過剰な漁獲,(2)生育場環境の劣化,(3)海洋環境の変化。長距離の回遊と限定された産卵場を考えると,個体数がある限界を超えて減少すれば一気に絶滅の危険が高まる。

♪絶滅すれば取り返しがつかないし,ニホンウナギといっても日本人のものではない。♪

 

2.土用の丑の日とウナギ

丑の日に食べるのは,平賀源内のせい。年間8千万匹のニホンウナギが消費されている。日本の文化としてうなぎを食べ続けるためには,ウナギの再生産速度とのバランスをとる必要がある。今のシラスウナギの漁獲制限は上限が過剰に設定されていて,事実上取り放題。

♪丑の日のうなぎは,バレンタインのチョコレートと同じような事。バレンタインチョコレートも日本の文化?♪

 

3.ウナギと違法行為 密漁・密売・密輸

国内で養殖されているニホンウナギのうち,およそ半分から7割程度が違法に流通したシラスウナギに由来する。違法行為は,反社会勢力だけでなくごく普通の業者が密漁・密売・密輸に関与している。違法行為が横行することで漁獲高などの正確な科学的データが得られないため,資源管理が難しくなる。違法行為を処罰するにも,シラスウナギが非常に高価であるため,現在の罰金は低すぎて効果がなく,違法行為が発覚する確率を高くしないと現実的でない。違法行為摘発のためには電子データが必要。

♪もしも,ウナギが絶滅し始めたら又は絶滅したら真っ先に困るのはウナギ業者だと思うのですがね。水産庁がもっと本腰を入れないと。♪

 

4.完全養殖ですべては解決するのか

研究室の完全養殖シラスウナギは,高価すぎて商業的な養殖には使えない。将来,商業ベースに乗るような価格で完全養殖できたとしても,天然シラスウナギの漁獲制限を厳密にしないと,消費が上乗せで増えてしまう恐れがある。

♪完全養殖うなぎも食べたい!って,日本人はどんだけうなぎ好きなんだよ!♪

 

5.ウナギがすくすく育つ環境とは

産卵場から川に戻るウナギは,かつて親の住んでいた川に戻るわけではなく,海流にのって広く分布するので,狭い範囲での保全は効果が薄い。ウナギの遡上と降河を妨げるような河川工作物のほうがより大きな問題で石倉カゴ(河床に積んだ石組みのウナギの寝床?)の設置は根本的解決にはならない。

♪石倉カゴはウナギ保護のためというより,ウナギ漁のために都合がいいんだそうです,なるほどね♪

 

6.放流すればウナギが増えるのか

養殖ウナギを川に放流する目的の1つは組合の漁業権の確保,つまり漁獲高が少なすぎると漁業権が維持できないから。もう一つは保全のためだが,放流でウナギが増えるという科学的根拠はない。養殖ウナギを自然に放流することで川全体の生態系を乱し,養殖ウナギ(大半がオス)を放流することが性比の偏りを生んでいる。

♪子供たちにウナギの放流を手伝わせる「善意の放流」が実は…「地獄への道は善意で舗装されている The road to hell is paved with good intentions.」ということわざを初めて聞きました♪

 

7.ワシントン条約はウナギを守れるか

ニホンウナギの取り引きは今のところ(2019年)ワシントン条約の規制対象ではなく,今後規制対象となっても,過剰な漁獲のうちの国際取引がかかわる部分のみ。

♪危機的状況があるとわかっていても,規制がかからない日本のうなぎ消費!♪

 

8.消費者にできること

行政は少しずつ動き出しているが,政治の世界ではウナギ問題は優先順位が低い。一人一人の消費者ができることは「ウナギ保護」の声をあげ,「より適切な商品を選択する」こと。ウナギ保護を謳っている企業にはいろいろあるらしく,見せかけの保護に気をつけよ。

♪具体的に企業名を挙げているが,私はうなぎを買わないので…パス。♪

 

あとがき 

♪ウナギ研究と産業界の癒着とか,著者がいろいろな方面から「これ以上ウナギ業界に不利な内容を話さないように」「学会への出入りを禁止する」と言われたとか,ウナギの謎以上に,ウナギ業界の闇は深い。♪